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ドラゴンズを愛した男…去りゆく平田良介に捧げる“心のセレモニー案”

文春野球コラム クライマックスシリーズ2022

2022/10/09

 平田良介選手の退団が決まった。ドラゴンズ一筋17年の選手なのに、なんだかあっけなかった。今でも実感があまりわかない。

 今年も試合終盤の肝心な場面で代打として登場すると「まだ平田がいた!」と嬉しい気分になった(敬称略お許しください)。結局、その肝心な場面で三振した日、立浪和義監督から引退の話を切り出されてしまった。

 平田は長らくドラゴンズにとっての希望だった。待ち望んでいた右の和製スラッガー。落ち着かないフォームから放たれる右方向への大きな打球。しかも、走攻守三拍子揃っていると来ているからたまらない。入団してしばらくは根尾昂選手と岡林勇希選手と石川昂弥選手を足して濃厚スープで割ったような期待をずっと集めていた。ファンから厳しい言葉があっても、それは期待の裏返しである。

 この10年ぐらい、ドラゴンズの主力といえば平田良介だった。ケガでいなくても主力は平田。与田剛監督が優勝のキーパーソンとして平田の名前を挙げていたのはつい昨年のことだ。平田が期待どおりやってくれればドラゴンズは勝てる。そう信じていたファンは多いと思う。目をつむれば平田のはじけた笑顔が思い浮かぶ。

 プロは結果がすべてだから退団は仕方がない。ただ、去り際にセレモニーの話題でネットニュースの格好のネタにされたり、SNSを騒がせたりしたのが残念でならない。盛大なセレモニーができないなら、せめて脳内106ビジョンで流すセレモニー動画を考えてみればいいんじゃないか。ファンひとりひとりが心のセレモニーをとりおこなって盛大に送り出そう。

名場面「2試合連続サヨナラヒラター!」

 映像はまず05年ドラフトの模様から始めたい。高校通算70発、甲子園で1試合3発は清原和博さんと2人だけの記録。三冠王・落合博満監督が「オレ以上の打者に育てる」と一目惚れしたという逸材中の逸材だった。イガグリ頭だった18歳は記者会見で「(落合監督)を超えられるものなら超えたいです」と豪語してみせたが、落合監督と初対面したときは「震え過ぎや」と言われるほど震えていたという。大好物はヤキソバ。入団直後、ナゴヤ球場前の「ラーメン竜」でお母さんが「ウチの息子はヤキソバしか食べません」と店主に通告したエピソードも入れられたら入れたい。

 いきなり見せ場がやってくる。ドラゴンズが日本一になった07年。シーズン終盤で初スタメンに抜擢され、そのままポストシーズンに突入。運命の11月1日、山井大介投手から岩瀬仁紀投手へのパーフェクトリレーで日本一を決めた試合でダルビッシュ有投手から犠牲フライで1点をもぎとったのは平田だった。いくら投手が相手を完全に抑えても、援護がなければ何にもならないのはドラゴンズファンが一番よく知っている。平田はここ一番で大仕事をやってのけた。

 サヨナラの名場面も入れなければいけない。08年、プロ初ホームランが代打サヨナラホームランという離れ業だった。ベテラン立浪の「走者がいないからホームラン狙え」という囁きが効いた。落合監督も「ちょっと格好よすぎるんじゃないの? ボーヤがね」と嬉しさを隠さなかった。

 連覇を決めた2011年。いつの間にか背番号は8から40になっていたが、球団史上初の2試合連続サヨナラホームランをぶっ放した。CBC角上清司アナの「まさか、まさかの! 2試合連続サヨナラヒラター!」という絶叫は今でも耳に残っている。この頃の平田は何かやってくれそうな気配をぷんぷんと漂わせていた。

2011年6月4日の西武戦、サヨナラ本塁打を放った平田良介 ©時事通信社

 2014年は谷繁元信兼任監督から「真の4番」に指名されて意気込んだが、5月下旬にあえなく降格。だけど、そこから奮起して15年にベストナインを獲得。18年には138試合出場して打率.329をマークした。サイクル安打も達成している。このあたりがキャリアハイといったところか。

 忘れちゃいけないのがムードメーカーとしての役割だ。15年は亀澤恭平選手と2人でペンチ前のパフォーマンスを繰り広げた。「デスターシャ!」をはじめベンチ前のパフォーマンスが当たり前になった今では信じられないが、当時はかなりバッシングされた。それでも構わず多彩なパフォーマンスを繰り広げて「実況パワフルプロ野球2016」で再現されるほど。この頃、球団公式YouTubeがあったら間違いなく最多登場は平田と亀澤だったはずだ。二人のパフォーマンスは忘れずに入れておきたい。