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西崎幸広のノーヒットノーランを見逃して…1995年7月5日、蒸し暑いあの日の記憶

文春野球コラム クライマックスシリーズ2022

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ノーヒットノーランを球場で見るのは夢のまた夢だ

拝復 FPM中嶋様

 お手紙ありがとう。そして新庄ビッグボスの2022年シーズン、おつかれ様でした。文中、「四谷文鳥堂書店のナカジマ」のフレーズが懐かしかった。あの頃、ナカジマは四ツ谷駅前の新刊書店に勤めていて、それが妙にプロ野球本とサブカル本の棚が充実してる本屋で、僕は文化放送の仕事帰りに立ち寄ったねぇ。

 あ、当時文化放送は浜松町じゃなく四谷、井上ひさしの『モッキンポット師の後始末』に出てくる聖パウロ修道会の建物をそのまま社屋にしてたんだよね。いちばん大きなスタジオは元礼拝堂だった。そこで僕は最初、週1で『吉田照美のやる気MANMAN』のラジオコラムのコーナーに出演して、それが好評になって自分の名前を冠した朝ワイド(『えのきどいちろう意気揚々』)を始めることになる。だから、ナカジマはあり得ないくらいしょっちゅう顔を合わせる日ハムファンだった。

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 よくチームが連敗すると、しんみち通りのルノアールで「緊急ミーティング」をやったなぁ。まぁ、「緊急ミーティング」はナカジマの昼休憩につき合っただけだけど。「広瀬哲朗、白井一幸の二遊間」と「川勝(正幸)さんとスチャダラパーの動き」を同じ熱量で話していい相手は東京でナカジマしか知らなかったからね。

 そうそう、「バックネット裏の最高の席」だった。あれは『Number』が買ってる年間シートなんだよ。当時、『Number』に僕が巨人のグラッデンの乱闘について書いたんだよ。そうしたら僕は門前仲町に住んでたんだけど、突然、文藝春秋の設楽敦生って人から電話が入って「今からそちらにうかがいたいんです」って言う。突然だよ。『Number』の編集長だ。何事だろうと思って待ってたら、若い編集者3人くらい連れて設楽さんがやってきて、いきなりウイスキーのボトルを出して「手みやげです。申し訳ありません」って言った。本が仕上がったら僕の原稿と隣のページの来生えつこさんの原稿が切れ目なくつながってたらしいんだ。編集上のミスだね。で、設楽さんはそうやって奇襲攻撃みたいに謝りに来た。

 で、「すいませんでした」「いや、わかりました。大丈夫です」って用件は30秒くらいで終わるじゃない。あとは雑談だよ。そのとき僕が振ってみたのは「プロ野球選手は珍名が多い」って話題だった。僕はロッテの醍醐猛夫以外に「醍醐」って人を知らない。北別府学以外に「北別府」という人を知らない。源五郎丸洋以外の「源五郎丸」、上水流洋以外の「上水流」を知らない。そういう例は山とある。珍名さんは野球能力に恵まれてるのか? それとも珍名さんは珍名というハンデを克服する(いつか笑ったヤツらを見返してやる!)ために人一倍努力するのか?

 そのとき、設楽さんが「確かに乱橋(幸仁)って他にいませんね。しかも、ピッチャーなのに乱れるって字は……」と乗っかってきた。お、『Number』編集長、気が合うと思った。それからめっちゃ仲良くなったのだ。何度も東京ドームの日ハムvs近鉄戦にご一緒した。設楽さんは大の近鉄ファンだった。『Number』はネット裏に2席、年間シートを持っていて、そこで観戦するんだが、大声で話しかけたらネクストバッターズサークルの田中幸雄が振り返りそうな近さだ。で、設楽さんは耳よりなことを言った。「巨人戦は営業の接待も含めて使ってますけど、日ハム戦はほとんど使ってないですよ。当日でも編集部に電話をもらって、空いてたらお渡しできますよ」。

 即座にしんみち通りのルノアールで「緊急ミーティング」だ。ナカジマも僕もガッツポーズだ。この世の頂上に立った。『Number』の席だ。山際淳司さんやなんかが懸命に書いてスポーツジャーナリズムの地平を切り開いた、そのたわわな果実とも言うべき年間シート。本来ならば丸谷才一先生にでもお座りいただいて然るべきその年間シートが、日ハム戦に限って僕らのものに⁉

 だから西崎幸広のノーヒットノーラン(一度、大貝恭史の「ドーム落球」でフイになり、別の試合でもう一度やり直したノーノー)は『Number』の席だったんだよ。で、もともとナカジマと2人で見ようと思って声かけてたんだけど、当日確か二玄社『NAVI』の撮影の仕事が入って、2枚ともナカジマにあげたんだ。ナカジマは彼女と行ったんじゃない? でも、ショックだったよ。二玄社って神田三崎町なんだよ。東京ドームまで徒歩10分くらいで行ける。そんなにノーヒットノーランの近くで撮影してたんだよ。遠くのロケならあきらめもつくけどスタジオだよ。

 7月5日か。何か蒸し暑かった気がする。撮影を終えて帰宅したらナカジマからの留守電が入っていて、「ノーヒットノーラン見てすいません」って謝ってるんだよな。なんだとぉ、と思った。そうしたら文化放送の藤木千穂アナから電話が入って「西崎投手ノーヒットノーランおめでとうございます。(録音機)回しますからコメントお願いします」と来た。コメントしようがない。あんないい席で西崎の快投が見られたのになぁ。ナカジマなんかじゃなく、丸谷才一先生にご覧になってもらいたかったよ。丸谷先生は豊田泰光さんとも親しい野球通だよ。

 まぁ、今年のポンセも見逃したし、ノーヒットノーランを球場で見るのは夢のまた夢だ。正直、ナカジマがうらやましい。27年たったけど今もうらやましい。設楽さんはお亡くなりになられて、『Number』の席が回ってくることもない。すべては幻のようだ。あんな席、本当にあったのか。

 ただ今の僕を支えているのは東京ドームで一度、鎌スタで一度、(ナカジマがやっていない)始球式を務めたことがあるという自負だけだ。あの始球式の日、四谷しんみち通りでナカジマが浮かべた凶相、「自分だって始球式やりたいのに」という嫉妬の炎は忘れないよ。僕はそれがあるから生きていける。まぁ、おあいこだな。来月の侍ジャパン強化試合見に行こうぜ。

敬具 えのきどいちろう

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