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移籍か残留か…ファイターズ・近藤健介選手の“決断“を前に私たちができること

文春野球コラム 日本シリーズ2022

2022/10/25

 日本シリーズが始まってしまった。始まってしまったということは、終わってしまう。

 日本シリーズが終わればFAが動き出す。近藤健介選手も、動き出すのだろうか。

近藤健介 ©時事通信社

優勝を決めたあの夜…ずっと忘れられない初々しい光景

 早々にチャンスが与えられるファイターズというチームで若手と呼ばれる時期は短い。29歳の近藤選手も既にチームを引っ張る存在で、ファンからの信頼も厚く、去年からは選手会長だ。

 毎年、1月のオフの自主トレも「TEAM 徳之島」として先頭に立って何人もで乗り込んでいく。地元の方々も待っていてくれるほどの恒例自主トレ。後輩たちが近藤選手を頼りにしているのが本当によくわかるし、近藤選手の面倒見の良さが後輩や本人の言葉の端々から伝わってくる。

 こんなに立派になった近藤選手だけれど、私がずっと忘れられない初々しい光景がある。近藤選手高卒1年目、栗山英樹監督も1年目、そう優勝した2012年シーズンだ。

 ルーキーの近藤選手は1軍で20試合に出場し、NPBやチームの最年少記録をいくつか塗り替えた。

 優勝を決めたあの夜、私は札幌ドーム地下の祝勝会(ビールかけ)の会場にレポーターとしていた。会場で割り振りされたHBCラジオのスペースは出入口に一番近いところだった。

 選手が次々と目の前を通り過ぎ、会場入りしていく。ほぼ全員が入り、いつ始まってもおかしくないと入口とは真逆のステージに注目していた私がふと後ろに感じた気配。振り向くとそこに中嶋聡選手兼コーチに付き添われた近藤選手がいた。

 そこは会場のギリギリ外で、近藤選手は中を覗き込んでいた。まだ未成年の彼はビールが飛び交う会場には入れなかったのだ。

「ここからは大人の世界だから、まだ駄目だよ」と中嶋さんが言っているようで、「うん、わかってる、でもちょっとだけなら見てもいい?」と近藤選手が言っているようで、派手なビールかけが始まる前に私は勝手にセリフを想像し口元を緩めていた。

 近藤選手はその後の日本シリーズには代打で3試合、高卒新人捕手のシリーズ出場は56年ぶり、チームは日本一にはなれなかったけれど、いいシーズンだった。

 2014年には初の開幕一軍、2016年には背番号が「54」から一桁の「8」に。近藤選手はその年の日本一へ大きく貢献し、あの時は入れなかった祝勝会の会場にも堂々と姿を見せた。

 2019年からは登録を捕手から外野手へ、オフにはチームと3年契約を結ぶ。この時、ファンは喜びと安堵でいっぱいだった。翌年には国内FA取得が見込まれていたからだ。それを見越しての3年契約、当然、FA権は行使しないということになる。

「ファイターズにいたいという気持ちが強いので」と当たり前のことのようにさらりと笑顔で話す近藤選手の表情が嬉しくて嬉しくてたまらなかった。3年契約が終われば、その先には2023年開業の新球場がある。真新しい球場をホームとする体験はプロ野球選手としてそう滅多にあることではない。次の契約は何年で結ぶだろう。私は当然のことのように、新球場に立つ近藤選手を想像していた。