三洋電機が国内初の噴流式洗濯機を発売した1953年は、評論家・大宅壮一氏によって「家電元年」と命名された。1956年には、経済白書から「もはや戦後ではない」という名言が生まれた。同時期には白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」としてもてはやされ、まさに高度経済成長の前夜だった。

 戦後、三洋電機を創業した井植歳男氏が63年前の「文藝春秋」に寄せていた文章(原題:「贅沢は敵ではない」)は先見の明があり、とても興味深い。その後、あっという間に日本中に普及した洗濯機だが、当初は「近頃の若い嫁は楽をすることばかり考えていてけしからん」といった反発があったことがうかがえる。

出典:「文藝春秋」1955年6月号「贅沢は敵ではない」

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日本向きの噴流式

井植歳男氏(当時・三洋電機社長) ©文藝春秋

 私の知人に20年前から電気洗濯機を使っている人があった。国産の丸型の機械である。その人が私に曰く、

「社長、あなたの所でも是非洗濯機をおやりなさい。私は結婚してから20年になるが、女房は洗濯の苦労を全然知りません」

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 この人は手広く商売をしていて店員を10名以上も使っているのだが、みんなにいつも清潔なものを着せている。しかもその夫人は洗濯の苦労をしたことがないという。そこで、私は早速洗濯機を使っている現場を見に行った。もう3、4年前のことである。

 20年も使って古くなって、脚も腐って煉瓦の台の上に置いて使っている。しかし結構、一家十数人の洗濯物を一手に引受けて重要な役目を果している。これを見て私は「なるほどそうか。日本の御婦人方にとって一番の重労働は洗濯だなあ」と改めて痛感した。

 以前からいろいろ考えてもいたし、周囲からもこのようにすすめられるしするので、熟慮の上漸(ようや)く洗濯機をやろうと決心したが、さてどういう型のものがいいかという問題にぶつかった。そこで国産の洗濯機は全部買い集め、更に外国の製品も集められるだけのものは全部を取揃えて検討を始めたわけである。先ずそれまで国産品の大部分を占めていた丸型の攪拌式であるが、これは機械的に言って非常に無理がある。原理として一方に回転してから、その分だけ又もとの方に戻す建前だから、元来同一方向へだけ回転しているモーターを逆転させる装置が必要であるが、これは原価も高くつくし、故障も起り易く、所謂(いわゆる)ガタが早く来るという欠陥があり、時間も非常に長くかかる。だからこの型を使っても、たた労力が省けるというだけのことで、時間の節約にはならないし、従って電気代も高くつく。

 機械的な問題の他に特許や意匠登録の面でも、仔細に検討した結果、英国のフーバーのものがあらゆる点で一番良いということになった。

 ここで面白いことに、ヨーロッパ諸国では噴流式が圧倒的に多いのに、アメリカでは殆ど攪拌式が用いられている。万事合理的で能率一点張りのアメリカが、前に述べたような、我々から見れば欠点の多い攪拌式を使っているのは何故だろうか。“洗う”という言葉の意味が全然違うのだ。洗うからには汚れたからだろうと思うのが我々貧乏国民の常識だが、米国の家庭では汚れようが汚れまいが1日着たら兎に角全部一度水に通す。1日と言っても、昼間会社へ着て行ったワイシャツをそのまま夜の外出に着て行くなどということは、殆ど考えられないのが彼等の生活である。だからいわばゴシゴシ揉んで洗うような攪拌式は、日本でこそ長い時間かけなければ汚れは落ちないが、向うでは好い加減に機械を動かして置けば済んでしまう。それに日本人ほどコセつかぬから万事鷹揚だ。その代り毎日休まずに繰返すから汚れるという程の汚れもつかない筈である。

 結局生活が豊かで衣料も豊富に持っているからこそ、こういうことが出来るのであって、これに比べれば欧洲の国々は矢張り戦争の影響もあるし、どうしてもアメリカのようには行かない。少い持物を大事に使うために経済的な噴流式が多いのだと思われるし、同じ意味で尚一層、日本には都合がよいことになる。