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三洋電機創業者・井植歳男が悩んだ「近頃の若い嫁は楽をすることばかり考えている」という反発

三洋電機創業者・井植歳男が悩んだ「近頃の若い嫁は楽をすることばかり考えている」という反発

「贅沢は敵ではない」精神とは

2018/01/14

source : 文藝春秋 1955年6月号

genre : ビジネス, 企業, 商品, 音楽, テクノロジー

note

「ヤリクリ」という名のカンナ

 由来、日本の家庭経済の考え方は、入る方を計らずに、一方的に出る方を節することのみを以て能事終れりとして来た。主人の持って来る収入に、一家全部がブラ下って、その収入を「ヤリクリ」というカンナにかけて、鰹節を削るように出来るだけ薄く削って煎じて飲んでいたのである。

 ここで言う「入る、出る」というのは何も金銭だけではない。日々の労働や目に見えない精神的なトラブルなどすべて生活する上にマイナスとなるものは「支出」であり、その逆は「収入」であると考えたいのである。最近漸くこの考え方をする人が多くなって来て、「支出」を節する一方で「収入」をふやすことが、プラスになって、快適な生活を過せるということが理解されて来つつあるのは誠に喜ばしいことである。この思想が所謂文化的生活の根本であろう。

 今までのように、すべて便利なもの、楽の出来るもの、快適なものが贅沢だとする考えからすれば、洗濯機に限らず、ミキサーも、トースターも、すべて家庭電化などというものほど、贅沢なものはないのである。しかしこの「贅沢は敵だ」精神は戦争中はいざ知らず、現在ではそれこそ「経済は敵だ」というのと同じことになってしまう。これからの家庭経済は古い「消極的節約」から一転して「積極的節約」に持って行かなければ成立たないのではないだろうか。

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 例えばミキサーであるが、これは例のハウザーの学説以来、にわかに脚光を浴びて登場したものである。ところが猫も杓子もハウザー、ハウザーのお題目を唱え過ぎて「ミキサーとはジュースをつくる道具なり」位にしか考えていない人が多い。もしそのためだけに1万円もするミキサーを買うとすれば、確かに贅沢かも知れない。勿論果物や野菜を調理するのに非常に便利なものではあるが、単なる絞り器に止まらず、主婦の最も大きな仕事である料理全般にわたって、その任務を代行して呉れる万能調理器となって来ているのである。

 これは現に私自身がやっていることだが、昧噌汁に入れる実として、大豆を前の晩から水に浸しておいて、朝ミキサーにかければ、糊のようではあるが、立派な豆腐が出来て、しかも全然ムダはないし、第一安上りでもある。又戦後大抵の人が一度は厄介になった、粉ひき器の代りにもなって、するめのような固い物も訳なく粉にしてフリカケに出来る。これはほんの一例であるが、すべてこういう具合に使い方一つで、和洋何れの料理にも向く調理法が出来るのである。

高度経済成長期を象徴する企業だった三洋電機 ©getty

贅沢は敵か味方か

 最近発売した私の方のミキサーを初めて見た新潟県のある電器屋さんは「ほう、変った蛍光スタンドが出来ましたね」と感心したそうであるが、これには恐れ入った。又洗濯機にしても図体が大きいものだから、さぞ電気代も高いのだろうと決めている人がまだある。たった100ワットしか使わないし、それも1時間連続使用して100ワットなのだが、なかなか呑込めないらしい。

 しかしこんな話もだんだんなくなって、世の中は刻々電化の方向に進んでいる。電化生活こそ文化生活に通じる道であると私は信じている。そして全国の家庭がみなひとしく、文化的な生活を楽しむ日もそう遠くないのではないか。

 30年前にラジオが初めて出現した時、何人の人が今日あるのを予想し得ただろうか。加入世帯数1200万を数え、2世帯に1台の割合で普及したラジオの先例こそ、我々を力づける唯一のものである。発足当時は物好きの占有物か、大人の玩具のように思われて、段々拡まって来てからは、贅沢品視された、洗濯機もミキサーも全く同じ過程を経て、漸く今贅沢品の段階まで来たわけである。次の段階は実用品、必需品へ連なる道である。贅沢とは何だろうか。身分相応の範囲でする贅沢が果して悪徳だろうか。「贅沢は敵」ではないのである。我々日本人の誰でもの心の奥に巣食うこの「贅沢は敵」精神という大敵を早く追放して、快適な生活、明るい家庭を目指して邁進したいものである。

三洋電機創業者・井植歳男が悩んだ「近頃の若い嫁は楽をすることばかり考えている」という反発

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