文春オンライン
文春野球コラム

ロッテ“伝説のテキスト速報”はこうして生まれた

文春野球コラム ウィンターリーグ2017

2018/01/08

 まだCS放送が普及しておらず、パ・リーグTVなどのネット野球中継も存在しなかった2000年代初期。マリーンズ公式サイトではテキスト速報と呼ばれるサービスを実施し、ロッテ戦の試合経過が逐一わかるようになっていた。

「4番 シェルドン 見逃し三振! 1死。5番 三輪 見逃し三振!! 2死。最後はまったく手が出ません、三輪。6番 セギノール 空振り三振! 加藤の奪三振ショー! 三人に対していずれもストライクが先行するピッチング。早めに追い込んで何もさせずにビシッと打ち取る。シビれるぜ! 康介」(2002年8月2日:オリックス戦)

 現在は「スポナビ」などがWebサイトやアプリで一球速報を行なっている。しかし、システム化されたそれとは違い、ファンの心を熱くさせるロッテ贔屓の文面が人気を博していた。

ADVERTISEMENT

「2番 堀 センター前タイムリーヒット! 小坂ホームイン! 同点! 同点! 同点! マリーンズ底力の同点! 3番 福浦 打球は右中間を破る! 西岡、堀ホームイン! 打った福浦は2、3塁間に挟まれタッチアウト。チェンジ。いてもたってもいられないっ興奮の土壇場逆転劇! どりゃああぁぁーー!」(2004年8月5日:日本ハム戦)

 2003年から2004年頃は、さらに速報の文面がヒートアップ。全力でロッテを応援し、勝てば喜ぶその姿は、いつしかネット上の閲覧者たちから「ファンの鑑、“リーダー”」と呼ばれるまでになっていた。

 次第に速報の文面はおとなしくなり、いつしか速報はシステム化されて淡々としたものに変わっていったが、いわば“伝説の速報”として当時を記憶しているファンも多いだろう。その内幕を、まずは2001年から2002年まで担当されていた大崎哲也さん(56)に伺った。

2002年のロッテ福浦 ©時事通信社

きっかけは川崎球場

 学習塾の経営や教育書籍の企画・編集などを行なっている会社「マップアソシエーツ・グループ」のCEOである大崎さんだが、なぜマリーンズ公式サイトに関わっていたのか。

「元々僕はロッテファンだったんです。今から50年近く前に荒川区南千住に東京スタジアムというホーム球場があって。そこによく通っていたんですね。ちょうど1970年、ロッテがリーグ優勝を果たした年くらいですよ。一番センター・池辺、二番セカンド・山崎、三番ファースト・榎本、四番レフト・アルトマン、五番ライト・ロペス、六番サード・有藤、七番・ショート・広瀬、八番キャッチャー・醍醐、九番が投手で木樽、成田、小山……」

 大崎さんの口からは、当時のロッテナインの名前がスラスラと出てくる。さらに時は流れてロッテは本拠地を失い、仙台・宮城球場を準フランチャイズにするなど紆余曲折の末、川崎球場をホームとした。そして現在は千葉へと本拠地を移したが、その間も大崎さんのロッテを応援する気持ちは続くことになる。

「当時の川崎球場が無くなると聞いて。その時に昔のロッテファンの人たちが川崎球場で『さよなら川崎球場』のイベントをやろうって立ち上がったんです。非公式のイベントでしたけどね」

 2000年2月26日に非公式ながら行われたこのイベントには、三井雅晴氏、得津高宏氏らOBの選手たちも集まった。そこで参加者たちは草野球大会を開いたが、大崎さんも審判として参加したのだという。

「資格を持ったアマチュア野球の主審はいるけど、塁審がいないという話になって。息子の少年野球で審判の経験があったので、ボランティアとして塁審で参加して、一塁を守る得津さんの後ろで『アウトー!』なんて言ったりしましたね」

文春野球学校開講!