2022年9月28日、嶋基宏は引退会見でこう語った。
「最初は有名になりたいとか、自分勝手にやっていたけど、2011年の大震災を機に、やっぱり野球は人のためにやらないといけないなと。人のため、誰かのためにという思いが、一番強い信念かもしれない。野球は進化してると思いますし、もっともっと勉強して、分かりやすく伝えていける指導者にならないといけないなと」
野球に対する考え方の変化と、指導者の道を目指す決意を示していた。この報道を見た多くのイーグルスファンがこう思ったに違いない。
いつかまた、イーグルスのユニフォームを着て欲しい――。
入社1年目、初めての取材の音声を聞き返してみた
私が初めて嶋選手と言葉を交わしたのは、2013年のオフのことだった。
球団事務所での契約更改後のインタビュー。とは言っても代表インタビューなので、聞くことは決まりきった質問しかない。それでも、当時は入社1年目。それまでテレビの向こうだった選手に話を聞くという、緊張感と高揚感の中でインタビューをした記憶がある。その時の取材音声を聞き返してみた。
林田(以下――)サインはしましたか?
嶋 はい、しました。
――チームとしては日本一。個人としてもベストナインとゴールデングラブ賞を受賞されました。今年一年振り返っていかがですか?
嶋 キャッチャーは当然勝って認められるポジションなので、そういう意味では凄く充実した1年だったと思います。
――来シーズンへの意気込みをお願いします。
嶋 まだフルに1年間働いたのは今年だけですし、チームとしても今年だけです。来シーズンもファンの皆さんと一緒に喜びを分かち合いたいです。
そんな短いやり取りだったが、こちらの目を真っ直ぐ見て、一つ一つ丁寧に答えてくれたのを覚えている。
当時、イーグルスにドラフトで入団した野手では初の1億円突破に加え、球団史上最長の4年契約を結んだ日だった。名実ともに、イーグルスを象徴する選手になったことが球団から認められた日とも言えそうだ。ただ、残念ながらイーグルスで2度目の頂点を掴むことはなく、2020年スワローズ移籍。今シーズンは選手兼コーチとしてチームの連覇を支えた。
嶋選手引退への思いをイーグルスファンに聞いてみた
そして発表された、現役引退。37歳。まだまだ出来るんじゃないか?と思ったのが正直な感想だったが……イーグルスファンはどういう気持ちで受け止めたのか。
10月2日、レギュラーシーズン最終戦の試合前、イーグルスファンに嶋選手引退について率直な思いを聞いてみた。
まず球団創設時からのファンだと言う仙台市内在住の60代女性と30代女性の親子に声をかけた。
「ついにその時が来てしまったか……という感じです。一番の思い出は『見せましょう。野球の底力』のスピーチと日本一になったシーズンです。あとは、ノムさんによくベンチで説教されていた印象も強いです(笑)。でもやっぱり、ノムさんに星野さんと、いい指導者に巡り合えたことで、球界を代表するキャッチャーに育ったんだと思います。そして嶋さんにも指導者として必ず楽天に戻ってきて欲しい……。ファンはいつでも待ってるよと伝えたいです」
続いて友人同士で球場に来ていた、仙台の30代男性と茨城から来た20代男性にも話を聞く。
「ヤクルト戦も気になって見てましたが、なかなか出番がなかったので覚悟はしていました。イーグルスを優勝まで導いてくれて、毎年優勝争いが出来るチームになってきたのも、嶋さんが礎を築いてくれたおかげです。嶋さんがいなければ今のイーグルスはありません。お疲れさまでしたと言いたいです」
仙台の30代男性は一番印象的な試合を、2011年の開幕戦と答えてくれた。4月12日の千葉マリン。7回に嶋が放った勝ち越し3ラン。その試合は、まさに打球が飛んできたレフトスタンドで見ていたそうだ。
「あの時は新幹線が止まっていて……バスでマリンまで行きました。東北が落ち込んでいた中で打ってくれた一打。東北を元気づけてくれました。嶋さんは東北の人にとって特別な存在です。近い将来戻ってきてくれると信じてます。以前、SS30のエレベーターで、当時イーグルスの選手だった嶋選手、草野選手、渡辺直人選手と遭遇したことがあって(笑)。嶋さんが『何階ですか?』と声を掛けてくれたりして、すごく優しい方だったのを覚えています」
SS30(エスエス・サーティ)とは仙台市中心部の商業ビルだ。2010年の年末のことだったそうなので、直人さんの送別会でもやっていたのだろうか。紳士で好青年の嶋選手にエレベーターで遭遇したら、一瞬でファンになってしまうだろう。