10月1日、元プロレスラーのアントニオ猪木さんが自宅で死去した。79歳だった。
プロレスラーとして先輩であり、ライバルだったのがジャイアント馬場だった。馬場の没後20年で猪木が見せた“男気”を報じた「週刊文春」の記事を再公開する。(初出:週刊文春 2021年12月9日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)
◆◆◆
「(ジャイアント馬場から)最後に来た手紙が『三途の川で待っている』という。挑戦を受けるべきかどうか、逆に私が困りました。(リングに)上がったら挑戦状を受けたということなんで、今日は下からで」
2月に両国国技館で行われた全日本プロレスのジャイアント馬場没後20年追善興行。リング下でマイクを握った“燃える闘魂”アントニオ猪木参議院議員はそう語った。だが、当日会場を訪れた、猪木氏の娘婿であり、元新日本プロレス社長のサイモン・ケリー猪木氏は言う。
「リングに上がらない猪木さんを見て、本当は足がちょっと良くないんだろうなと思いました。数年前から人の肩を借りないとリングから降りられない状況。挨拶しようと控え室を訪ねたのですがスタッフに断られ、会えませんでした」
追善興行の2日後には、国民民主党会派に加入することを発表した。
「男性スタッフの肩を掴んで壇上へと上がる猪木さんを、記者らは不安げに見ていました。体調は大丈夫なのかと危ぶむ声も挙がった」(政治部記者)
猪木氏が表舞台に立つ機会も減っている。
「かつてはイベントのギャラがビンタ1発100万円といわれ、講演料の所得も年2000万円近くあったが、最近は激減。肖像権を管理していた個人事務所も昨年閉鎖され、テレビ出演も減りました」(スポーツ紙記者)
猪木氏とは40年来の仲である、元新日本プロレス取締役・永島勝司氏が証言する。