演説会で熱弁を振るった伊藤氏
それでも4月末にはほとんど下書きが完成していた。それが9月まで延びたのは、後述する事情による。7月に控えた参院選の地元愛知選挙区の下馬評では伊藤氏は当確外だった。その頃、落選を見越した伊藤氏は覚悟を決めて内密出産案件を他の議員に引き継ぐ準備を始めている。
6月末、伊藤氏の地元・愛知県名古屋市で開かれた演説会で、支持母体・連合愛知が動員した約600人のサラリーマンを前に、伊藤氏は開口一番、「土砂降りの中、たった一人、傘もささずに途方に暮れている、それが予期せぬ妊娠に立ち尽くす女性たちです」と、内密出産法の成立に熱弁を振るった。選挙結果は日付が変わってから土壇場での逆転当確。永田町でガイドラインの発出に立ち会うこととなる。
「知られたくない権利」と「知る権利」をどう調整するのか
筆者がガイドラインで注目したのは2つの対立する権利の調整だ。
内密出産では出産について知られたくない女性の権利と、赤ちゃんの出自を知る権利という2つの対立する権利をどう調整するかがポイントになるが、前述した初の内密出産では、出産について知られたくない女性の権利への配慮が感じられなかった。それには次のような経緯があった。
女性は慈恵病院の予め決められた特定の人物にだけ身元情報を明かし、特別養子縁組の同意書に署名をして病院を退院した。だが、4月、内密出産であるはずにもかかわらず、熊本市児童相談所が女性の身元調査(社会調査)を進めていることがわかった。6月、厚生労働省家庭福祉課は筆者の取材に対し、「赤ちゃんの出自を知る権利を守るために児童相談所が決定した必要な対応だった」と回答している。なお、厚労省の担当部署が熊本市児相による社会調査の事実を把握した時点では、ガイドライン原案には社会調査に関する記載はなかったことが関係者への取材でわかっている。
参考:「出産したことを知られたくない」内密出産の行方 慈恵病院院長が反発する「児相のだまし討ち」とは?(文春オンライン)
発出が先延ばしになったのは、社会調査関連の検討を加えるためだった。そして9月の発出に至る。
だが、発出されたガイドラインでは、女性の身元をたどる社会調査について直接には触れていない。代わりに、児相の取るべき対応に関して次のような一文がある。
<妊婦がその身元情報を医療機関の一部の者のみに明らかにして出産することを望み、医療機関等の説得に応じない場合においては、身元情報を明かしたくないという母の意向も念頭に対応されたい>
2つの対立する権利の調整にあたり、赤ちゃんの出自を知る権利を守るのが児相だとするなら、女性の出産を知られたくない権利を守る第三者も必要だろう。しかし日本では女性が赤ちゃんを産んだ時点で法律上の親子関係が生じることになる。女性が自分の産んだ赤ちゃんの養育権を放棄することについて、与党は言うまでもなく社会的な受け止めが厳しい。このことを予想した苦肉の策とみられる。
厚労省が記者クラブで行ったレクチャーでは「なぜ社会調査はするべきではないと書かないのか」と質問が相次いだ。
伊藤氏は「現状で官僚が書き切れる最大のものを書いてもらった」と担当者をかばった。
「考えてみてください。社会調査は児相に与えられた権限です。それを国が『してはならない』と言うことは適切ではありません。内密出産ではあらゆる事態を想定しなくてはなりません。例えば10歳の女の子が妊娠・出産する場合など性虐待が疑われるケースでは社会調査は必要です。だから、官僚はギリギリの書ける範囲で悩み抜いてこのように書いています。もっと行間を読んでほしい」
加えて官僚は原則として与党の指示に基づいて動く。現行の保守政権で女性の権利を正面から突破しようとしても無理がある。そう伊藤氏は官僚の苦悩を推し量った。