このことについて伊藤氏は「政治の不作為」と悔やんだ。生殖補助医療議連では、特定生殖補助医療により生まれる赤ちゃんの遺伝子上の親の情報を管理する出自情報管理センター(仮称)を国がつくる案が浮上していた。
「センターをつくることになれば内密出産の出自情報も管理できる環境整備を目指すことは可能です。内密出産のガイドライン策定までにセンター設置の法案提出が間に合わなかった」
内密出産に必要な法整備を
慈恵病院は事前に熊本市経由で厚労省にガイドライン試案を提出したが、直接のヒアリングを受けていない。このことについて蓮田氏は「当事者抜きなのか」と反発していた。
それに対し伊藤氏は「一病院だけからのヒアリングでは他の医療機関が納得しない可能性がある。慈恵病院を守るためにも厚労省は直接のヒアリングを避けたのでは」と裏事情を解説した。
「ことは一足飛びには進みません。ガイドラインができたことは奇跡に近いし、間違いなく前進です。しかしまだまだ足りない。だからもう法整備に向けて動いています。任期6年の間でやりきるつもりです」
昭和期に菊田昇医師が14年をかけて特別養子縁組制度を切り開いた経緯に比べると展開が早いと伊藤氏は感じていた。
与党内に、医師で弁護士の古川俊治参院議員、医師の秋野公造参院議員をはじめ、法整備に協力的な議員が少しずつ現れている。「厚労省の担当者もガイドラインをつくっておわりだとは思っていない」と伊藤氏は言う。
生殖補助医療議連の中に、内密出産に関する勉強会がまもなく発足する。伊藤氏は事務局長として運営のとりまとめをする。内密出産という苦渋の決断を最後に支えるのは、立法府が生み出す法律だ。