もしあなたが政治を志し、何らかの選挙に立候補するとしよう。二十年近くフリーランスで選挙取材をしてきた本書の著者が教えるところによれば、まずは選挙管理委員会に立候補届け出書類を取りにいかなければならない。すると、各メディアの記者たちから「調査票」と呼ばれる書類を渡される。本籍地や生年月日、学歴、職歴、党派、推薦団体、主要政策、親族に政治家がいるかどうかなどのアンケートである。
あなたが政治家の二世ではなく、政党に属さず、著名人でもなく、有力な団体がバックについているわけでもない場合、以後、このアンケート以上の取材はまずしてもらえない……のだという。
新聞なら主要候補の記事の後に、「調査票」や選挙公報から抜粋した主張が少しだけ盛り込まれ、「独自の戦い」という決まり文句が入ったごく短い記事が載る。テレビなら、最後に「ご覧の●人も立候補しています」と、ひとまとめにされて名前と年齢が数秒間映るだけだ。
ちなみに二〇一六年七月の東京都知事選挙では二十一人が立候補したが、民放テレビ四社の看板ニュース番組が、立候補者たちの報道に割いた時間は「九七%(小池百合子・増田寛也、鳥越俊太郎の主要三候補)対三%(その他の十八候補)」という比率だったそうだ。
メディアから(ほとんどの有権者からも)見向きもされない「泡沫」「その他」である彼らをひたすら追いかけ、話を聞いてきた本書の著者は、彼らを敬意をこめて「無頼系独立候補」と呼ぶ。
本書は、第一章が日本でもっとも有名な無頼系独立候補であるマック赤坂に十年にわたって密着した記録、第二章が主要候補以外が報道されない日本の選挙の現実と著者の提言、第三章が二〇一六年の都知事選のレポートという構成になっている。
数多くの候補者が登場する。革命家を名乗って二〇一四年の都知事選に立ったある候補は、世界同時革命を訴える演説の途中、「元始、女性は太陽であった」と突然語り出し、「しかし、今、梅干しババアである」と続けて警備の警官を噴き出させる。
立候補の際に記者から経歴を問われ、警備会社の正社員だと答えたある候補は、「その会社に問い合わせたら、正社員ではなくアルバイトだと言ってますが……」と言われ、「初めて知りました。正社員だとばかり思っていました」と絶句する。
そんな笑えるエピソードも多数紹介されているが、著者は彼らを決して馬鹿にせず、真面目にその主張や政策に耳を傾ける。そして心から怒るのだ。
候補者は平等なはずだ。供託金だって払っている。結果として落選するのは仕方ないが、政策や主張がほとんど報道されないままなのは、不公平ではないか。候補者の多様な声を伝えるのがメディアの役割であり、それによって政治への関心や参加意欲が高まるはずだ――。
当選しないと分っていて立候補する人たちの、滑稽でもあり崇高でもある姿が活写される本書だが、私がもっとも打たれたのは、キワモノ的に扱われてきた彼らを二十年も取材し続けた著者の情熱と心意気である。収入にもつながらなかっただろうし、物好きと言われたこともあったろう。本書は昨年度の開高健ノンフィクション賞を受けている。著者の思いがようやく報われた本書を、ぜひ多くの人に読んでもらいたい。