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――いまおっしゃったオリンピックへの憤りについては、サイレントスタンディングの場面で少し出てくるくらいで、劇中で直接的なメッセージとして登場はしなかった気がしますが。

山﨑 実は編集で脚本にあった要素をかなり削ったんです。最初は各人物が背負うテーマや問題意識がもっと詳しく描かれていたんですが、改めて見るとあまりに説明的になってしまいどうも面白くない。それでセリフや場面を思い切って削りました。何度も素材を見直す中で、社会的なメッセージを生々しく語るより、フィクションの構造を強くした方が映画として突き刺すものが増すのではと意識が変わっていったんですね。でも今の社会に対する怒りが出発点なのは確かですし、根本にあるものは変わらないと思います。

――オリンピックの話以外には、具体的にどんな要素が削られていったんでしょうか?

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山﨑 たとえばチャンスが付き合う美南(和田光沙)という女性には、過去に福島にある夫の実家から逃げてきた、という背景が元々ありました。そこには震災のことや原発の問題、家父長制批判のテーマなどを込めていたんですが、実際に二人が会話するシーンを見るうちに、もっと説明を省いても十分何かが伝わるんじゃないかと思えてきた。やっぱり一番リアルなものって、画面に映った役者さんの顔や表情だったりするんですね。そこから、当初考えていたようなそれぞれのテーマを背負った人々の群像劇ではなく、ひとりの人間を多面的に見る映画へと方向性が変わってきたんです。

 

僕たちのような自主制作映画だからできたこと

――今回、編集協力に、トリュフォーの映画などを手がけたフランスの著名な映画編集者であるヤン・ドゥデさんがクレジットされていますが、これはどのような経緯で実現したのでしょう?

山﨑 基本的には僕が編集を担当したんですが、その間にフランスにいるプロデューサーの小山内(照太郎)と何度もやりとりをし、ああでもないこうでもないをひたすらくりかえして作業をしていきました。途中で何度かフランスの著名な監督たちにも見てもらううち、ヤン・ドゥデさんにも協力してもらいたい、ということになり、お声がけしたところ、ありがたいことにこの映画をとても気に入ってくれました。彼の助言に従って改めて編集し直すとまた全然別の動きが現れたりして感動しましたね。そんなふうに2年半くらい編集作業をくりかえし、100バージョンくらい作るなかで、ようやく何かが見えてきたという感じでした。

――編集作業に2年半をかけるというのはすごいですね。

山﨑 普通の商業映画ならありえないはずです(笑)。僕たちのような自主制作映画だからできたことだと思います。あとはコロナ禍を挟んだことも大きいです。2019年の春に撮影して、その後編集で最初のバージョンをまずは作っていたんです。でもその直後にコロナの感染が拡大し、公開する目処もしばらくは立たなそうだし、それなら納得いくまでとことん編集をやってみようと気持ちを切り替えました。最終的には、150分程あった最初のバージョンを97分の完成版にまで持っていきました。