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病院経営一族の令嬢と結婚したが…

 10歳から馬術を習い始め、ミュンヘン(72年)、モントリオール(76年)と2つの五輪に連続出場。合間の74年に馬術関係で知り合った病院経営一族の令嬢と結婚した。当時の様子を令嬢の母親が振り返る。

ミュンヘン五輪での竹田氏

「彼の父から『息子は仕事ができないものだから、よろしく』と言われ、私たちの経営する病院に理事として迎え入れました。彼が五輪に出場する際、馬を買ってあげたこともあります。その後、彼がワインの輸入や独製ハンドバッグの販売を手掛けようとしていたときも、仕入れ費用やオフィスの賃料も負担した。でも事業は赤字状態でした」

 結婚直後には車で20代の女性をはね、死亡させた竹田氏。その対応もこの義母に任せきりだったという。

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会長を務めていた旅行会社の事務員と泥沼不倫

 だが、上皇のはとこの威光とお坊ちゃま人脈も相まって、竹田氏は出世を重ねる。91年にJOC理事に就任し、2001年には会長に上り詰めた。一方で家庭は崩壊の一途を辿った。

「現在彼が会長を務めている旅行会社の事務員の女性と不倫関係になったんです。ホテルに2人で入るところも何度も目撃されています。私の娘は1人で3人の子を育て、彼は毎晩のように夜中3時頃に帰ってくる日々。やがて娘も体調を崩し、別居に至りました」(同前)

 泥沼不倫の末、離婚を巡って裁判に至ったが03年に成立。07年に竹田氏は不倫相手と再婚した。

「再婚後の竹田氏はしばらく妻の実家で同居していました。また竹田氏が五輪招致活動に関する贈賄疑惑で仏当局から捜査を受けた際の弁護士費用約2億円もJOCが支払った。竹田氏は常に周囲に金銭面を負担させ、タカリと言われても仕方のない状況を繰り返してきた」(前出・記者)

 五輪疑獄の底はまだ見えない。