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「大切な襲名披露の司会なんだから別の人に頼んで欲しいと断りましたが、いつもなら僕がノーと言ったらあっさりと引き下がる楽ちゃんが、この時ばかりは様子が違っていて一歩も引き下がろうとしません」

 このこと一つとっても、二人の深い関係がうかがえる。

なぜ圓楽さんは圓生襲名にこだわったのか

 そして話は、晩年の圓楽さんが執念を見せた、大名跡「圓生」の襲名へと移る。

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三遊亭圓楽さん ©文藝春秋

「もし、襲名の準備を進める過程で体調に異変を感じたら、それは何か大きな力が働いて止めようとしているのだから襲名を諦めて身体を大切にしてよとアドバイスしました。何度か同じことを言ったので気にはなっていたようですが襲名への意欲は加速するばかり」

 そして、こう記す。

「もしもその夢が叶った時は襲名披露の初日、圓生師匠の出囃子<正札附き>の笛は僕が吹くと密かに決めておりました」

 なぜ圓楽さんは圓生襲名にこだわったのか。最後に小朝師匠は、圓楽さんが耳元で囁いたその理由を記して、筆を置いている。

 これまで明かされることのなかった、圓楽さんの言葉とは……。文藝春秋12月号(11月10日発売)でお読みください。

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