「情報を疑え、常識を疑え、地球儀なんぞ信用するな」
当時の落語協会のやり方に反発し、独自の流派「落語立川流」を興すなど、前例にならわず、数々の功績を残してきた落語家・立川談志。“最後の名人”とも称される男はいったいどんな人物だったのだろう。
ここでは、弟子の中で一番長く談志と時間を共にした立川キウイ氏の著書『談志のはなし』(新潮新書)の一部を抜粋。弟子が明かした秘蔵エピソードとは……。(全2回の2回目/前編を読む)
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師匠選びも芸のうち
落語家はまず入門したら前座。その前に見習いがありますか、でもとりあえず前座、これが一般的には3~4年。
そして二つ目になってここからが落語家として一人前に扱われるんですけど、だいたい8~10年でしょうかね。それで真打になります。だからトータルで12~13年前後。
自慢でも何でもなく、僕は前座を16年半やりました。異常ですよね。ハッキリ言えば馬鹿です。普通なら廃業(や)めるでしょう。
もちろん所属団体であり、入門した師匠によって育て方の違いはありますが、ともかく落語家とはルーツの確かな師匠に入門をして修行をすること、年季を積んで師匠に認められること。
国家試験じゃありませんから、資格が法的に何かあるわけじゃありませんが、それは落語家である為の仁義だと思います。
「師匠選びも芸のうち」
よくそう言います。だから入った先の師匠によって落語家人生そのものが左右されます。でも惚れちゃったんだから仕方ないですよ。色恋だってそうですよね? 恋愛感情に勝てる人っていませんもの。
その前座って身分は虫ケラですからね、落語界的には。人権ないっすもん。それを承知で入るのがこの世界です。パワハラは前提。納得いかないなら師匠曰く、
「嫌なら止(よ)しなよ」
で廃業(や)めればいいだけになります。師匠が存命だった頃は落語立川流って「落語界の北朝鮮」とよばれていましたからね。映画『地獄の黙示録』でいえばマーロン・ブランド演ずるカーツ大佐の王国みたいなもんですよ。危険な魅力。
正義感が強くて優しい圓菊師匠との思い出
こんなことがありました。僕が前座だった頃、ある落語会に前座で入り、トリが古今亭圓菊師匠。楽屋で僕に話しかけてくれたんです。
「何年やってるの?」
当時ですでに10年ほど。
「酷いことしやがる」
年季を聞いて僕の為に怒ってくれてました。圓菊師匠は正義感が強いし、優しい師匠なんですよ。でも本当ならその怒ったことは師匠(この場合、談志)に向けてですから弟子なら腹ではムッとすべきなんでしょうけど、
「何て良い師匠(圓菊師匠のこと)なんだ!」
逆に感激しちゃいましたからね。悪い弟子です。
この時の圓菊師匠は、豚カツのお弁当を美味しそうに食べてて、半分残して「後で食べるから」と大事そうに脇へ。