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 高座から楽屋まで階段があって、上りの時に僕は圓菊師匠より先、上の段にいたのですが途中で何故かスッと手が出て、そしたら僕の手をシッカリ握ってくれて一緒に上りました。

 そうしたことが何か自然に通じ合うというか出来る。これは団体は違えど、やはり同じ落語家の世界だからなんでしょう。今でも嬉しい思い出の一つです。

「面白い生活をしてない奴に面白い話は出来ない」

 これは師匠が病気で体力が落ち、美弥(編集部注:立川談志が贔屓にしていた銀座のバー)にそれでも来てた時、その美弥って地下にあってせまい階段があるんですね。

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 そこで帰りに階段を上る際、手すりに掴まっていたんですが、手すりがなくなるところまで師匠が来たら、あ、よろけるかもしれない、と思って、圓菊師匠じゃないですけど上の段にいた僕の手がスッと出たんです、この時も。

 そうしたら師匠も手が出るのが判ってたかのように、僕の手を自然に握りました。

 でもこの時の師匠の手はすごく軽くて、力がなくて、本当に具合が悪いんだなって手で判りました。

 そして一階、地上に出た時、ふりしぼるような声で僕に話しかけてくれたんです。

「日頃、面白い生活をしてない奴に面白い話は出来ない。高座で面白いことが出来るはずがない。いいか、下積みの時にな、いろんなホコリみたいなものが付くんだ。ホコリはホコリだ。だがな、そのホコリは上に行った時、ものを言うんだ。お前の場合、踊りとかいいんだよ。それよりここにこんなバカバカしい男がいるってのを世の中に知らしめろ」

 それを聞いた時、師匠がズーッと前座にしていてくれたのは、やはりそれは愛情だったんだなぁって確信したんですよね。

 そして師匠は呼んだタクシーに乗って、そのまま根津のお宅に帰りました。

落語家の本当の資格と条件

 こうしたことを思い出して書いていると、時代もあるし良し悪しは判りませんが、何となく今や落語界の修行もカルチャースクール化というか、とてもスマートになったというか、少なくとも無茶や理不尽はかなり無くなったと思います。

 逆にいえば、それは面倒くさくなくていいかもしれませんが、師匠との濃密な時間というのが過ごせなくなっているんじゃないかしら。

©️文藝春秋

 当時、いつまでも前座のままでキウイは不幸だ、キウイは気の毒だといわれましたし、自分でもそう思ったりもしていました。同じ落語家の世界でも団体が違えば、それこそ時代が違えば、色々なことが違うでしょう。

 しかし違わないというか、違わないであって欲しいのは師弟の絆、つながり。

 確かに無駄に長い、前人未到の前座の期間でしたけど、それって一皮むけば幸せな時間だったように今は思っています。落語家ってそれしかない人間がなるもので、大袈裟な言い方をすればそれも才能じゃないかなと。

 落語家の本当の資格と条件とは、尊敬できる惚れた師匠がいるか否か。入門する覚悟があるかどうか。そしてその師匠の元で音を上げずにキチンと年季を積むことが条件かと。

 師匠のおかげで面白い生活を僕もしてこれたなと、今それも確信しています。

 師匠がいるってのもいいものです、本当に。