先日、「大学はぜいたく品」と門前払い…生活保護を受けられない“貧困学生”の過酷すぎる現実」という記事で、虐待された子供が実家から逃げ、大学に進学しながら生活保護の受給をしたくても難しい現状について執筆したところ、予想していた以上に「自己責任」「努力が足りない」というような当事者への批判が寄せられた。

 当該記事では、親に身体的・精神的・経済的に支配されている子供たちが、将来的な自立を目指して奨学金とアルバイトで学費と生活費をまかないつつ大学に通うも、体を壊すなど、一時的な事情で生活が立ち行かなくなった際に「大学を諦めたくない」と希望を持ち、生活を立て直すために止むを得ず生活保護の受給申請を考えたケースを紹介した。

 しかし、いずれも窓口の担当者に「大学は贅沢品です」「大学を辞めてから申請にきてください」と言われ、在学しながらの生活保護受給の申請を認められず窓口で追い返されたが、そもそも大前提として、申請が認められるかどうかの審査は申請書の受領後、福祉事務所で行われるものであり、独断的な判断で申請希望者を追い返すこの対応は違法である。

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「虐待されている状態」をあまりにも知らない

 今回の記事に対する反応を見ている限り、おそらく家庭内で虐待や暴力を受けている子供が「具体的に、どのような状態にあるか」を理解している人は、よほどその問題に精通している専門家などでなければ、当事者以外にほとんどいないのだろうと感じる。

 これはかなり問題だと思っていて、支援制度を作ったり運用したりするうえで当事者目線が欠けていると、本当に必要な要素が見落とされてしまったり、検討されたとしても「不要だ」という世論に負けて結局排除されてしまったりする。

 まさに今回のように「大学生にも一時的に生活保護を受ける権利を認めて欲しい」という声に対して「生活保護で大学に通うなんて許してはならない」「みんな頑張って苦労しているのに」などと批判が相次ぐのも、世間が持つ「大学生」や「生活保護受給者」、そして「虐待家庭に育った子供」といったそれぞれの属性への無理解や偏見からくるものではないか。