「社会に出てから大学進学」は現実的に難しい
そもそもすべての国民は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障されているが、一般的に許容される範囲内での娯楽やギャンブルもここに含まれているため、仮に生活保護費を使って飲酒やパチンコをしていたとしても、これが直接不正受給には当たることはない。それにもかかわらず、大学生が一時的に受給する生活保護費の中から生活費や学費を捻出し、生活再建を図ろうとすることは認められていないのが現状である。
「普通に社会人として働いてから、お金が貯まったら大学に行けばいい」などと簡単に言われるが、最終学歴が大学卒よりも高卒のほうが長時間労働で賃金も下がる傾向にある上に、待遇も変わるため、貯金がしやすいとは言えない。もちろん、生涯年収も大きく変わってくる。学費に関しても、昔とは比べ物にならないほど高くなった。
社会人を経てから大学に進学したいと考える人たちとも多く関わってきたけれど、ほとんどが日々の生活を維持することに必死で、経済的にも余裕がない状態だ。現実的に考えて「社会に出てから大学進学」がベターだとは到底思えない。
古く貧しい「世間」の価値観は、子供や力の弱い者を苦しめる
虐待を受けて育った子供にその責任を負わせようとするばかりか、なんの救済も検討されず、挙げ句の果てに「自己責任」だと切り捨てようとする社会は、あまりにも残酷だと思う。彼ら彼女らは何も大学に遊びに行こうというのではない。経済的な後ろ盾がない分、何かあったときに困窮しないように生活基盤を整えようとしているのだ。
経済的な自立が安定しない状態にある人を量産すれば、将来的に生活保護受給者が増加していくことは明らかである。そのとき再就職に有利な学歴がなければ比較的就労は困難になるし、その分受給期間が延びてしまうことにより、ますます生活保護費の支出は増えるのだから、大学生だからといって「生活保護費は一律で、例外なく一切出さない」というのは国にとっても損失だと思う。
昔のように一部の特権階級にある人たちだけが大学に進学できる社会であればまだしも、すでに「学歴社会」と呼ばれるほど「大学卒業」が一般的な時代へと変遷して久しいなかで、声の大きい「世間」の価値観だけが古く貧しいままになっていないか。その割を食うのはいつも力の弱いたちであり、子供たちである。