1ページ目から読む
2/3ページ目

暴力によって支配されるのは身体だけではない

「大学に通う前に家から逃げろよ、順番が逆」といった批判が多く寄せられたが、子供が家から逃れるのを嫌がる親が「大学進学は許可してやってもいいが、実家から通うこと」を絶対条件として提示するケースもある。

 そもそも「自分が親から虐待されている」と自覚できている子供はほんの一部であり、多くの場合は親を庇おうとしたり、虐待されていることを認めないことの方が多いために、親のいいなりになるか抵抗できない状態に置かれている。

 私の育った家庭でもそうだったが、母親が私に強く依存していたため、高校生のころ、実家での酷い暴力から逃れたい一心で、ひとり暮らしにかかる費用を貯めるためにアルバイトをしていた私に母は、「大学に進学するなら、奨学金から学費分を差し引いた残りを家族全員の生活費に充てること、そして実家から通学すること」を条件に出した。両親の同意がなければ、奨学金を受給することはできない。私は将来、経済的にひとりで生きられるようになりたかったし、学歴重視社会である以上、大学を卒業しておきたいと考えていたから、悩んだ末に母親が出した条件を飲んだ。

ADVERTISEMENT

 もちろん暴力を日常的に受ける日々は地獄だったため、実家から逃げ出したい願望はかなり強かったが、将来を考えると、それ以上に大学に進学したい気持ちが上回った。「あと4年間は死に物狂いで耐えよう」と覚悟するのは容易なことではなかったが、これから数十年以上も家族から逃げ、誰からも経済的援助を受けずにひとりで生きて行かねばならない自分には、選択肢はあまりにも少なかった。

©iStock.com

命からがら暴力家庭から逃げ出して進学を志しても……

 しかし今思えば、暴力を受けていたとはいえ、実家に残る選択肢があった私はまだ恵まれていたほうなのだろうと思う。もっと酷い虐待を受けていた子供たちはそれこそ、毎日が死と隣り合わせであったと思うし、食べるものや着るものを十分に与えてもらえないケースも多い。

 そんな子供たちが偶然、何かのきっかけで親からの洗脳を解くことができ、命からがら家を飛び出してアルバイトに励んで学費や生活費を稼ぎ、自分の未来を切り開くために大学に進学したとする。しかしそこでぶち当たるのは、無理な労働による過労状態である。この場合、少なくとも数ヶ月は休養が必要であるものの、生活費や学費の面倒を見てくれる親族はいない。あくまで一時的に公的な支援を頼ろうと思い、役所を訪れると「大学は贅沢品です」「まずは大学を辞めてください」と言われ、申請さえさせてもらえずに追い返される。

 彼ら彼女らは家庭に特殊な事情があり、実家に帰ることができない。虐待は立派な犯罪であり、被虐待児は被害者であるにもかかわらず、なんの救済もなく、貧困から抜け出すために必要な知的資本や文化的資本を手に入れることもできない。