今夏の名古屋場所で初賜杯を抱いた逸ノ城(29)。優勝インタビューでは、はにかみながらこう答えた。
「(この喜びを)親方をはじめおかみさん、いつも支えてくれている皆さんに報告したいです」
だがこの時、湊親方(元幕内・湊富士)との師弟関係は崩壊していた。
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悲願の初優勝の裏で何が起きていたのか
湊部屋の後援会関係者が明かす。
「実は、今年2月頃から逸ノ城は親方やおかみとほとんど口を利かなくなってしまったんです……」
モンゴル遊牧民出身の逸ノ城は2010年、鳥取城北高校に相撲留学。14年初場所で初土俵を踏んだ。
「入門時から身長192センチ、200キロ近い体重と恵まれた身体で、デビューから所要5場所の新三役昇進は昭和以降の最速記録。同期の照ノ富士と共に、次世代の横綱候補として期待を集めました」(相撲担当記者)
だがその後は腰の怪我などに苦しみ、三役と平幕を行き来してきた。悲願の初優勝の裏で、いったい何が起きていたのか。
酒癖が悪く、泥酔した逸ノ城がおかみを殴打することも
発端は1年前に遡る。前出の後援会関係者の話。
「湊部屋に住んでいた逸ノ城が門限を破り、夜に抜け出して飲み歩いていたことが発覚したんです。同胞の友人らとモンゴルパブに繰り出していたようでした」
親方から叱られた逸ノ城は、1人暮らしができないストレスを訴えた。湊親方が逸ノ城を部屋住みにとどめておいたのは、その酒癖の悪さを懸念したからだ。
「酒乱なんです。部屋のある地元の川口市では、おかみが一緒に外へ飲みに行って逸ノ城に息抜きをさせていたんですが、酔っ払うと客や店員に絡むこともしばしば。おかみが泥酔した逸ノ城に殴打されたり、突き飛ばされたりして、痣を作っていることも珍しくありませんでした」(同前)