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 それでも、ともかく家裁が要旨公表に踏み切ったのは、この事件の社会的影響や関心の大きさを物語っている。この事件の後、さらに少年による衝撃的な事件が相次いだことを受けて、刑事処分の可能年齢を14歳に引き下げるなどの法改正が行われた。今に至る少年法厳罰化や被害者参加の流れは、ここから始まっている、と言える。少年司法の根本的な変革を迫った事件でもあった。

 Aは、2004年3月に関東医療少年院を仮退院。同年12月、法務省は22歳になったAの保護観察が終了したことを公表した。同省がこのような発表をするのは初めてで、これも事件の特異性を踏まえた異例の対応だった。

廃棄の事実だけでなく、裁判所の対応にも驚愕

 こうして公的機関の関与は終了したが、その後もこの事件に対する社会の関心は失せたわけではない。

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 2015年には、本件の神戸家裁決定の全文が『文藝春秋』に掲載されて、話題となった。同じ年には、Aが手記を出版し、それが議論を招いた。被害者遺族は出版に憤慨し、図書館や書店での扱いを巡って様々な意見が交わされた。このほか、毎年事件が起きた5月には、遺族のインタビューがメディアで伝えられるなど、事件の記憶は今も生き続けている。

 そのような事件だけに、少年審判記録が捨てられているというのは、まったく想定外の事態だった。驚いたのは、廃棄の事実だけではない。いつ、どのような判断と経緯で廃棄されたのか、自らそれを調べて明らかにしようとしない裁判所の対応には、唖然とし、怒りも湧いた。

江川紹子氏

大量の証拠物を誤って捨てることは考えにくい

 その後、メディアの取材に尻を叩かれるようにして、ようやく重い腰を上げた同家裁が、事件を管理する旧システムの複製データを調べたところ、廃棄したのは2011年2月28日とみられる、という。しかし、どのような経緯で廃棄を判断したのかなどは、今なお明らかになっていない。

 本件の記録は、相当の分量があったはずだ。『少年裁判官ノオト』によれば、検察庁から家裁に送られてきた書類だけで段ボール4箱、積み上げると高さ2メートル以上。ほかに証拠物が大量にあった、という。さらに家裁での精神鑑定書や付添人(弁護士)の意見書、審判の内容を記録した審判調書などが加わる。これだけのものを、うっかり間違って捨てることは考えにくい。