「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」を名乗った少年による神戸連続児童殺傷事件を初めとする、著名少年事件の少年審判記録が廃棄されていることが相次いで明らかになった。

 それだけでも十分驚いたのに、なかなか事実経過を調査しようとしなかった裁判所の反応の鈍さにも唖然とした。

 この機会に、少年審判を含めた裁判記録を保存する意義はどこにあるのか、なぜ裁判所は記録を捨てたがるのか、そしてこの問題はどうすればいいのか――などについて考えてみたい。

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少年事件の概念を変えた事件

 神戸新聞の記者から最初に聞いた時は、にわかに信じられなかった。
 あの事件の記録が?!
 そっくり全部捨てられている?!?!
 嘘でしょ?!?!?!

 1997年に発生した「あの事件」では、神戸市で小学生5人が襲われ、2人が殺害された。被害児の頭部を切断して中学校の校門前に置く残忍さや、挑戦状を地元新聞社に送りつける大胆さ。それが14歳の少年の行為と分かった時の衝撃は忘れることができない。新聞は少年Aの逮捕を1面トップで伝え、テレビも様々な特集で大きくこの事件を取り上げた。全国の大人たちを震撼させ、少年事件の概念を変えた事件だった。

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 当時、刑事処分が可能な年齢は16歳以上。Aは刑事裁判を受けることはなく、神戸家庭裁判所の審判で、医療少年院での保護処分となった。家裁の少年審判は非公開。それでも同家裁は、社会的な関心の高さを踏まえ、非行事実や事件の背景、精神状況などを記した決定要旨を公表するという、当時としては異例の対応をした。

少年法改正が行わるきっかけに

 それは、審判を担当した井垣康弘裁判官の判断だった。井垣氏が退官後に書いた著書『少年裁判官ノオト』(日本評論社)によれば、少年の更生に必要な社会の支援を得るためにも、少年の匿名性は守りつつ、「なぜ事件が起こったのか」については開示すべきだと考えた結果だという。決定文は、全文公表することを前提に書いた。ところが、公表された決定要旨は、家裁所長が「あちらこちらをバッサリ削ったもの」で、必ずしも井垣氏の意図にそぐわないものになったようだ。