白黒の画面に、絡み合う男女。右下にLE MENSONGE(嘘、の意)というタイトルがあるので、単に愛し合う男女を描いたわけではないことが分かります。いえ、仮にタイトルを知らなくても、この場面には何かありそうだと感じたかもしれません。その雰囲気はどこから生まれているのでしょう。そして「嘘」とは?

 フェリックス・ヴァロットンはスイス出身。パリで学び、本作のような木版画作品で名を馳せてから、ゴーギャンに影響を受けた画家のグループ・ナビ派に加わります。簡潔な形状と、白と黒のコントラストによる象徴的な表現を得意としました。

「嘘」は男女間のさまざまな機微を描いた10枚から成る「アンティミテ(親密、の意)」シリーズの1枚目。

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本作は30部限定で、5部は和紙に、25部はクリーム色の紙に刷られた。左下の鉛筆書きから、25部のうちの4番目とわかる。
フェリックス・ヴァロットン「嘘(アンティミテⅠ)」 1897年 木版 三菱一号館美術館蔵

 カップルは画面の左端に配置されていますが、もしお互いに没頭した2人を表現するなら、もっと寄った構図にしたでしょう。ここでは引いた構図で、右のテーブルやその上の食器類などが目につくため、2人に共感するのでなく、より客観的で冷静な目で見るよう仕向けられます。背景の縦縞模様も、マンガなどでよくみるドヨーンとした不吉な状況を表すようで、2人の間の不穏な空気を感じさせます。

 さて、嘘つきは誰なのか考えてみましょう。まず、男性の表情は見てとれますが、女性の表情は陰に隠れているのは意味ありげです。男性の方はソファと一体化し、この状況への没入感を感じさせるのに対し、女性は白い肌とドレスのうねる縞模様で体の曲線が強調され、それがソファから彼女を浮き上がらせ、また背景の縦縞と強いコントラストをなしています。どちらが嘘をついているのか明らかではない描写で、見る人ごとに違う結論が出そうです。

 19世紀末のヨーロッパでは、悪女というテーマが流行していました。周辺状況から考えても、他の9枚を通して見ても、アンティミテ・シリーズは悪女を描いたと考えられます。つまり、女性が嘘を囁いている場面だと解釈しても間違いではないのでしょう。

 しかし面白いことに、本作は見方によっては、男性の方が嘘をついているようにも見えてきます。彼の表情は騙されているとも知らずにニヤけているようでもありますが、女性を騙そうとほくそ笑んでいるようにだって見えます。黒いソファは彼の暗い行く末とも取れますが、裏黒いものとの結びつきかもしれず、女性はそこに呑みこまれる寸前、と考えることも可能でしょう。

 ヴァロットンは、ユーモアを感じさせつつも、少しいじわるな観察眼を持った画家なので、男女関係そのものに対する不信感や、ブルジョア批判を恋愛という場面を捉えて表した、とも読めるでしょう。

 もしヴァロットンがあからさまな悪女を描いていたら、このような解釈の揺らぎの妙、それゆえの時代を超えた普遍的な魅力もなかったと思います。この絵の嘘がどのように見えるかで、あなたの過去の体験や価値観までもが炙り出されてしまいそうですね。

INFORMATION

「ヴァロットン―黒と白」
三菱一号館美術館にて2023年1月29日まで
https://mimt.jp/vallotton2/

●展覧会の開催予定等は変更になる場合があります。お出掛け前にHPなどでご確認ください。