天皇陛下の肉声が世に出る機会はめったにない。だが、昭和史研究家の保阪正康氏は、上皇上皇后両陛下と計6回懇談した際のことを振り返り、「文藝春秋」100周年記念号(2023年1月号、12月9日発売)でその内容を明かしている。
渡辺允元侍従長の言葉に背中を押された
今回、執筆に踏み切ったのは、2年ほど前に渡辺允元侍従長から「君も両陛下には何度かお会いしているのだから、必ず書き残しておきなさい。二十年後か三十年後かに書かれる『実録』のためにも」と言われたことが大きかった。
保阪氏は執筆の理由をこう書く。
〈私や半藤さんは、在野の歴史研究者として帝国陸海軍の元軍人や皇室関係者に話を聞いて昭和史を書いてきた。だから、いずれは両陛下との対話の記録をまとめたいという気持ちはあった。(略)平成の御代が終わろうとする時期に、両陛下がどのようなことに関心を持たれ、どのような話をされたのか。そのことは記録しておくべきだろう。渡辺さんの言葉は、この原稿を書くに当たって背中を押してくれた〉
保阪氏が半藤一利氏らとともに両陛下にお目にかかったのは、2013年2月から2016年6月にかけてのこと。上皇陛下はまだご在位中で、両陛下ともまもなく80代に入ろうとされる頃だった。
美智子さまとの出会いを振り返る上皇陛下
最初の懇談は2013年2月4日。半藤一利氏とともに皇居内の御所に招かれた保阪氏は、お庭に面した部屋に案内され、両陛下と夕餐を共にした後、応接室のソファで両陛下と向かい合わせに座った。
話は、おふたりが戦時下に学ばれた当時国民学校と呼ばれた小学校時代の教科書にはじまり、日光(陛下の疎開先)や館林(美智子さまの疎開先)の思い出などの話題がひとしきり出たあと、上皇陛下が問わず語りに美智子さまとの出会いについて振り返られた。
そのときの様子を保阪氏は次のように書いている。
〈陛下は表情を崩されて、
「こちら(皇后)と初めて会ったのはテニスなんです。たしかそうですよね」
と美智子さまのほうを向いておっしゃる。
「準決勝でしたね。米国人の少年とペアでしたよね」