インターネット広告を巡るプラットフォームの「変質」が最も如実に表れたのがTwitterだ。
世界でMAU3億3300万人を擁するTwitterは、スタート以来利益がほとんど上がらず累積赤字が積み上がっていた。先に挙げた2つの要因に加え、先のアメリカ大統領選挙で起こったようなデマやヘイト投稿を繰り返すアカウントが大量に登場するなど政治的な分断とそれを巡る混乱が可視化されることでメディアとしての信頼性が高まらず、広告主にとってメリットよりもリスクの方が大きいメディアという印象が強まった。Twitterはそれを引き起こしていると見られるアカウントを大量に凍結・排除することでその改善を図ろうとしたが、人的リソースが際限なく必要な上に、誤認によると見られる処置も相次ぎ、今度はユーザーの満足度が下がるというジレンマに陥っていた。
Twitterはイーロン・マスクによる買収を契機に、ビジネスモデルを広告から認証アカウントの有償化によるユーザー課金型に転換を図ることで、このジレンマから脱しようとしているが、これが成功するかどうかは不透明だ。凍結されていたトランプ大統領のアカウントを自身のアカウントでのアンケート結果のみで復活させるなど、拙速なマスク氏の姿勢にも疑問が投げかけられている。
Netflixはテレビに取って代わる存在にはならない?
メタの運営するFacebookは広告ビジネスモデルの限界を、メタバースへの領域の拡大によって打破しようとしたがこれも現時点では上手く行っていない。このように広告に頼り切っていたインターネットサービスが転換点を迎えていることは間違いなく、以前のようにユーザー数を増やせば、自動的に広告収益が上がる好循環に回帰することはもはやない。
そんな中、Netflixが広告付きの割安な視聴プランを用意したことにも注目が集まった。「CM放送で利益を挙げているテレビの牙城を崩すことになるのではないか」という見立てもあるが、これは間違いだ。ITジャーナリストやコンテンツビジネスの有識者の間でも世界的な会員数の減少(Netflixショック)を受けて行った、株主向けのアピールに過ぎない、という見立てが一般的なのだ。
なぜNetflixがCMメディアの王様たるテレビに取って代わるような存在にならないのか? ここまで述べてきたように、インターネットサービスにおける広告市場の成長は限界を迎えている。また、Microsoftと提携して広告の調達を図るとするNetflixだが、視聴履歴に基づく広告表示の最適化を図ったところでYouTube以上のパフォーマンスを出せるのかには疑問が残る。