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「もう練習に行かない」中学でイジメ、高校で不登校、就職は“補欠”…森保一監督の“逆転人生”

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“ドーハの悲劇”に森保は…

「森保は特別に秀でた選手ではなかったが、人の目をしっかり見て話を聴く子でした。グラウンドでも“ルック・アラウンド”が徹底できていて、運動量も豊富だった。オフトも同じように森保を評価し、マツダで採ろうと」(今西氏)

 だが、またしても試練が立ちはだかる。この時、マツダの採用枠は5人。森保は6番目の候補だった。結果、森保は今西氏の機転で子会社のマツダ運輸に“補欠採用”されたのだ。

「1人だけ子会社の所属でしたので、負けてなるものかと発奮。日本リーグの欧州遠征のメンバーに選ばれるほど成長し、本社の所属になりました」(同前)

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©時事通信社

 Jリーグ発足後、森保はマツダの後身・サンフレッチェ広島とプロ契約。オフト氏が日本代表監督に就任すると、代表メンバーに選ばれた。そんな森保を失意の底に突き落としたのが、93年の“ドーハ”だった。

 サンフレッチェ広島の公式マガジン「紫熊倶楽部」編集長の中野和也氏が語る。

「森保さんはドーハの悲劇について『あれ以上の悲しい思いをすることはないだろうと思えれば、全てをポジティブに捉えられる』と話していた。広島の監督時代は、新人だった浅野拓磨が3年目に結果を出すまで、信頼して使い続けました」

 強靱な忍耐力を養ってきた森保の逆転人生は続く。

「もう練習に行かない」中学でイジメ、高校で不登校、就職は“補欠”…森保一監督の“逆転人生”

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