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熱血漢ながらも…高校では一転“不登校”に
中学卒業後は長崎日大高に進学。試合で仲間がラフプレイを受けると、相手に飛び掛かっていくような熱血漢だった。だが、怪我を境に一時期、不登校になる。
元長崎日大高サッカー部監督の下田規貴氏が語る。
「地元の強豪だった国見高校に勝てず、モチベーションが下がっていたようでした。ヤンチャな子たちとつるんで、バイクに乗ったりして遊んでいたんです」
下田氏が家庭訪問をしても隠れて姿を見せなかった。父が学校を辞めさせようとしたすんでのところで、森保は学校に戻ってくる。
「今の時代なら問題になりますが、ゴールからゴールまでの間ひっぱたき続けた。そこからは熱心にサッカーに打ち込みました」(同前)
なお、森保の妻は高校の同級生。陸上選手としてインターハイに出場した美少女で、学校のマドンナ的存在だったという。
そして、1枚の年賀状が森保の運命を変える。
「将来モノになるかもしれない子がいるので、指導に来てくれませんか」
下田氏が宛てたのは、マツダSC監督(当時)の今西和男氏。同氏は、チームのコーチだったハンス・オフト氏を伴って、広島から長崎へと足を運んだ。