1ページ目から読む
2/3ページ目

熱血漢ながらも…高校では一転“不登校”に

 中学卒業後は長崎日大高に進学。試合で仲間がラフプレイを受けると、相手に飛び掛かっていくような熱血漢だった。だが、怪我を境に一時期、不登校になる。

 元長崎日大高サッカー部監督の下田規貴氏が語る。

「地元の強豪だった国見高校に勝てず、モチベーションが下がっていたようでした。ヤンチャな子たちとつるんで、バイクに乗ったりして遊んでいたんです」

ADVERTISEMENT

スポンサーへの挨拶も欠かさない“営業マン”の一面も

 下田氏が家庭訪問をしても隠れて姿を見せなかった。父が学校を辞めさせようとしたすんでのところで、森保は学校に戻ってくる。

「今の時代なら問題になりますが、ゴールからゴールまでの間ひっぱたき続けた。そこからは熱心にサッカーに打ち込みました」(同前)

 なお、森保の妻は高校の同級生。陸上選手としてインターハイに出場した美少女で、学校のマドンナ的存在だったという。

 そして、1枚の年賀状が森保の運命を変える。

「将来モノになるかもしれない子がいるので、指導に来てくれませんか」

 下田氏が宛てたのは、マツダSC監督(当時)の今西和男氏。同氏は、チームのコーチだったハンス・オフト氏を伴って、広島から長崎へと足を運んだ。