1ページ目から読む
3/4ページ目

――そのツリーハウスが「ジージの森」のきっかけになったんですね。

前田 それが第1号となって、徐々にアトラクションを増やしていきました。子供たちが安全に遊べるよう、木登りのインストラクターの資格も取ったんですよ。木登り教室は子供たちに大変好評で、そのうちにドイツ村のオーナーに「ここを使って何かやってみたらどうですか」と言われ、この区画を借りることにしました。あえて草むらは残して虫取りができるようにしたり、夏は池でザリガニ釣り、冬は焚火ができるよう工夫しています。土曜日限定ですが、キャンプ場としても使ってもらえます。

前田さん 撮影/平松市聖 ©文藝春秋

野原や山に入って自分たちで遊びを作り出す経験を

――季節に合わせて子供たちが遊べるような場所に作り変えていったんですね。

ADVERTISEMENT

前田 そうなんですよ。今はツリーハウスが2個、ブランコも12個あります。子供もですが、親が夢中に遊んでいる姿を見るのがうれしいですね。今の子たちは自分で遊ぶというよりも、ゲームやおもちゃに遊ばせてもらっている。僕が少年だった頃は、おもちゃなんて買ってもらえなかったけれど、トムソーヤのように野原や山に入って、自分たちで遊びを作り出していました。昔の子供たちが遊んだ遊びを少しでも今の子供たちに伝えていけたらなと思っています。

前田さんが作ったブランコ 撮影/平松市聖 ©文藝春秋

――前田さんの幼少期の風景がここに再現されているんですね。

前田 実は、私が生まれ育った土地は兄貴の借金のかたに取られてしまって、マンションが建ってしまったんです。ちょっと寂しい気持ちもありますが、仕方がないことです。今は山の中に1000坪の土地を買って、自分で改装した家に住んでいます。

――「ジージの森」がオープンしたのが2011年なので、今年で12年目ですね。千葉さんとは「ジージの森」ができた頃からお会いしていないということでしたが、千葉さんがコロナによる肺炎で亡くなったという訃報はどのように知ったのでしょうか。

2022年8月に開かれた千葉真一さんの一周忌 ©共同通信

前田 報道を見た息子から、「おじさんが亡くなったよ」と聞いて兄貴の訃報を知りました。その日の夜に何件か取材依頼の電話が来ましたが、兄貴とは会っていなかったからと言って全部断ったんです。コロナ禍だったので、結局葬式にも行けず、別れもできませんでしたね。