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兄から解放される…「正直、ほっとしました」

――訃報を聞いてどう感じましたか?

前田 正直、ほっとしました。妻には「人前でそんなこと言っちゃダメ」と窘められるのですが、思ったままを周囲にも言っています(笑)。

2005年にハワイ国際映画祭の「MAVERICK AWARD」を受賞した千葉真一さん ©共同通信社

――なんでほっとしたのでしょう?

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前田 ようやく、兄貴から解放されると。映画に対しては情熱的で一途な人でしたが、兄弟や家族の関係はきれいごとだけじゃ語れない部分もたくさんありますよね。もしかすると兄貴は少年時代の裕福な暮らしが一転、貧乏を強いられたことがコンプレックスで、あの頃の暮らしを追い求めていたのかもしれません。かつては自慢の兄貴でしたが、スターの「千葉真一」になって、人が変わってしまった。そのことに今も複雑な感情を抱いています。だから、兄貴が亡くなってようやく芸能界と完全に縁が切れるのだなと思うと、寂しさもあると同時にやっぱりほっとするんです。

若かりしころの千葉真一さん ©共同通信社

「俳優時代の話をするのはすごく恥ずかしい。過去の出演作品も、一切見返しません」

――芸能界への未練は、今はもう全くないのでしょうか。

前田 今も『仮面ライダー』を見ていたという方がここを訪ねてきてくれることがありますが、僕はあの世界では本当に中途半端だったので、俳優時代の話をするのはすごく恥ずかしいんですよね。過去の出演作品も、一切見返しません。再び俳優として表舞台に立ちたいとは思いませんが、いつか映画を作りたいという気持ちはずっと抱いてきました。もう73歳だからさすがに無理だと思いますが、今も映画を観ては演技や演出の意図に思いを巡らせて楽しんでいます。

『爆走! ドーベルマン刑事』に出演した矢吹二朗時代の前田さん(一番左) ©共同通信社

――前田さんが「ジージの森」をはじめたのが62歳の時ですから、これから映画を撮ることも可能なんじゃないかと思ってしまいます。

ブランコで遊ぶ前田さん 撮影/平松市聖 ©文藝春秋

前田 いやいや、僕も70の声を聞いてからガクッと体力が落ちてしまってね。今は同じ敷地内に住む、大工の仕事を学んだ次男に「ジージの森」を手伝ってもらっているんです。親子で一緒に仕事をするのは難しいですが、ぶつかりながらも楽しくやってます。僕の息子たちは木登り、焚き火が遊びの必須科目でした。今は孫たちが「ジージの森」で走り回って自然の中での遊びを覚えています。この数年、コロナの影響でお客さんが来なくて、大変でしたが、最近ようやく少しずつ戻ってきてくれました。まだまだやりたいこと、作りたいものがあるので、体力の続く限り、頑張りたいですね。