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「タラソワの元では、安定感は増すけど、伸びしろはそれほど見込めないと思ったんです。私はまだ足りない技を詰めたかった。そのアドバイスをくれそうな人がニコライ・モロゾフだったんです。残された時間は少なかったけど、やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいい」

 次に手がけたのが、曲の変更だった。

「12月の全日本選手権まで、SPはラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』を使っていたのですが、技と音楽、そして自分の感覚が一体にならないもどかしさがあったんです。それで急遽、フリーで使っていたショパンの『幻想即興曲』をアレンジしてSPにし、フリーにはプッチーニの『トゥーランドット』を使うことにしました」

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五輪1カ月前に死を覚悟した出来事

 たとえそれらの決断が上手くいったにしても、極度の緊張が強いられる五輪で平常心を保つのは至難の業だ。

 さらに荒川が言う。「実は五輪1カ月前に、死を覚悟したこともあったんですよ」

トリノ金メダリストに輝いた荒川静香 ©文藝春秋

 全米選手権が開かれているセントルイスにモロゾフを訪ね、練習拠点のコネチカットに帰るときだった。空港上空で、緊迫した声のアナウンスが流れた。

「後輪が出ないので胴体着陸します。燃料が空になるまで上空を旋回します。IDとパスポートは身体につけ、それ以外の荷物はすべて棚に仕舞い、頭は下にしてください」

 機内はパニック状態になった。窓の下には、消防車や救急車が数十台待機している。荒川はパスポートを握りしめ、これが自分の遺体選別になるのかと覚悟した。

「飛行機事故の映画やドラマで、死の直前に『ありがとう』というのを見て、恐怖の瞬間にそんなきれいごとを思うわけはないと考えていたんです。でも実際生死の際に立つと、本当に感謝の気持ちしか思い浮かばないんですよ。あの人にも、この人にも『ありがとう』って言ってなかった、って。だからもし生き延びたら、トリノでは感謝の気持ちで演技しようと思った」

 そう恐怖を語る一方で、胆力も見せた。

「客室乗務員の目を盗んで、機内や滑走路に待機している救急車、消防車の様子などを写メしちゃいました」

 そこまで肝っ玉が座った人間には、オリンピックの魔物も尻尾を巻いて逃げるしかない。