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 現場をピンポイントで押さえていなかった私は、花ケ島の住宅街を歩く住民に話しかけることから始めた。70代の女性に声をかけた。当時の事件が、記憶にあるか尋ねてみると、女性は、すぐに思い出したようだった。

「義理の母親がきつい人だったという話は、近所ではよく聞きましたけどね。内情は知らんけど、犯人に同情できる余地があるように思いますよね」

 現場がどこなのか、女性に問うと、「花ケ島は大きいから。もっと上のほうやわ。こっちは南で、確か北の方やなかったかしら」と言った。パチンコ店の近くだというヒントをもらい、私は、北へ向かった。

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夫婦間での刑罰に対する考え方

 今度は現場に近いはずだ。車を降り、パチンコ店の近くにあった飲食店の夫婦に当時の出来事について、印象を訊いてみることにした。2人は、同じく70代で、40年近く花ケ島に住んでいるという。男性は、この事件で思うことが多かったようだ。真っ先に口にしたのは、「彼(奥本)がかわいそう」という言葉だった。

「家庭内の問題があって、惨めだった気持ちに輪をかけられたとですよ。普通の夫婦喧嘩だったらいいけど、そこに義母が入ってきて嫁と一緒にやられた。男だったらプライドを傷つけられるというのがあるとですよ」

 かなり男性寄りの視点で述べているようにも聞こえたが、そうした家庭内の問題に加え、近所の女性たちの間では、「収入が低かった」という噂も広がっていたという。だが、この男性は、「すぐに良い金はもらえないとですよ」と指摘。「それに今の人たちは、良いものを買いたがる」と、若者たちの生活思考を咎めた。

 この意見に耳をそば立てていた夫人は、「そうは言っても、3人も殺しているわけだからねぇ」と夫を見ずにボソッと呟いた。夫婦であっても、刑罰に対する考え方は異なるものだ。

専門知識を持たなくても、死刑囚の肩を持つ一般人がいる

 奥本が日々のストレスから、我慢の限界に達したことは理解できる。しかし、相手に手を出すことは、道徳上、許されるはずがない。奥本は、深刻な精神疾患を患ってもいなかった。義母はおろか、妻までも殺す必要がどこにあったのか。ましてや、生まれたばかりの息子の首を絞めて溺死させ、土中に遺棄するなど、同情されるべき行為では到底ない。

 事件現場のアパートは、すでに解体されており、「今は駐車場になっている」という。数百メートル先を曲がれば、その跡地が分かると男性は言った。私は、彼らの指示に従い、ようやく現場を見つけた。しかし、すでに日は暮れていた。一旦、立ち去ることにした。

 それにしても、被害者に対する印象がずいぶん悪いものだと感じた。私はまだ、この事件の入り口に足を踏み入れたに過ぎない。だが、死刑囚である奥本章寛に同情する人々が、少なからずいることは確かなようだった。

 精神鑑定医のような専門知識を持たなくても、死刑囚の肩を持つ一般人がいるのだ。地元で3人が殺されても、犯人を庇う人たちがいることに驚いた。