裁判員裁判の後、検察側から驚くべき言葉が
2009年5月から始まった裁判員制度で死刑判決が下されたのは、この事件で3件目となった。被告人弁護を担当した黒原智宏弁護士は、控訴した。その大きな要因は、検察側に都合の良い単純化された捜査資料などによって、裁判員がわずか6回の公判で死刑を決めたことだった。
裁判員制度が始まる前までは、死刑相当の事件の場合、通常は一審で2年から3年はかかっていたが、奥本の判決は、事件から9カ月で決着がついた。その理由として考えられるのは、死刑反対派の市民を事前に排除した上で6人の裁判員が選ばれたことだと、黒原弁護士は指摘する。そして、裁判員裁判の後、検察側から驚くべき言葉を耳にしたという。
「この事件はテストケースだったというのです。罪が重いとか重くないとかにかかわらず、死刑求刑にするんだと。それで裁判員の反応を見るんだということで求刑された事件なのです」
本当だろうか。にわかには信じられない話だった。
奥本は、二審に向け、2人の臨床心理士による鑑定を受けていた。鑑定結果によると、殺害理由は、恨みによるものでなく、自己防衛反応だった。義母の精神・肉体的暴行から生じたストレスで、視野狭窄をもたらしたと診断された。しかし、この鑑定結果は加味されず、2012年3月22日、福岡高裁宮崎支部は、一審の控訴を棄却。弁護側は上告した。
遺族からの訴えも司法の場には反映されず
最高裁判決が下るまでの2年間に、意外な動きがあった。先ほどの石田健一が、彼の母と姉を殺した奥本被告との面会を繰り返すようになったのだ。そして石田は、ついに最高裁に上申書を送った。その中で、彼はこう訴えている。
〈今すぐ死刑と決めないでほしい。命は大事であり、それは奥本の命も同じこと。もう一度、一審に差し戻して、慎重に審理をやり直してほしい……〉
死刑反対とは述べていないものの、石田は、同年代で同じ航空自衛官でもあった奥本の気持ちに同情する部分があった。ある人には、「母ちゃんも姉ちゃんもひどかった」と明かしている。母親と姉が殺害され、憎悪の念を抱きつつも、奥本を死刑にしてほしくない。石田は、そう願っていたようなのだ。
しかし、そのような遺族からの訴えも、司法の場に反映されることはなかった。2014年10月16日、最高裁判所は、上告を棄却。この段階で死刑が確定し、約1カ月後、奥本は福岡拘置所へ移送された。
死刑囚となった奥本は、逮捕されてから数日後、家族に一枚の手紙を宛てている。まだ20代前半だった奥本という男の内面を知る上で欠かせない手紙だ。原文のまま紹介したい。