死刑容認派が8割を超える日本。多くの国々が世界の潮流として、死刑廃止を決めてきた中で、日本がその実現に向かわない理由とは。そしてその潮流に乗る必要がそもそもあるのか――。
ここでは、死刑囚や未決囚、加害者家族、被害者遺族の声から死刑の意味に迫ったノンフィクション作家・宮下洋一氏の著書『死刑のある国で生きる』(新潮社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の1回目/2回目に続く)
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妻子6人殺害で死刑判決
2021年10月28日午前、私は、茨城県日立市内にある一軒家の入り口に立っていた。家の庭先には、洗濯物が干されている。誰かいるに違いない。門を抜け、玄関前で足を止め、インターホンに指を当てた。
奥から「はーい」という声と同時に、床を踏む足音が遠くから響いてきた。近くまで来ると、その音はピタリと止まり、小さな声が聞こえた。
「どちらさまですか」
「突然、すみません。ジャーナリストをしている宮下と申しますが」
引き戸の玄関が30センチほど開き、小柄でショートヘアの女性の顔だけが現れた。彼女は、私の体を下から覗き込むように見上げた。
「小松恵さんとお孫さんの件で、いろいろと調べているのですが、少しだけお話をさせていただけないでしょうか」
そう私が口にすると、彼女は、すぐに扉を閉めた。それから再びそっと開き、顔半分だけを覗かせてこう言った。
「すみません、えぇ、えぇ……。お話しすることは何もありませんので」
「ほんの少しだけで結構です。10分だけでもお時間をいただけませんか」
「すみません、えぇ、まだ話せる状態じゃないので」
ここで扉は完全に閉められた。私は、翌日、彼女に手紙を書くことにし、小松恵の実家を後にした。
日立市で起こった凄惨な事件が日本全国を震撼させるニュースに
遡ること4年──。事件は、2017年10月6日、茨城県日立市田尻町の県営団地の上田沢アパートで起きた。当時32歳だった千葉県八街市出身の小松博文が、睡眠中の妻子6人を複数回刺し、自宅に火をつけて殺害した。自らも焼身自殺を図ったが死に切れず、小松は日立警察署に出頭した。
小松は、放火を自供。同警察署が市消防本部に通報し、アパートは、事件発生の約1時間後に鎮火した。妻の小松恵(当時33歳)を始め、長女・夢妃(同11歳)、長男・幸虎(同7歳)、次男・龍煌(同5歳)、三男・頼瑠(同3歳)、四男・澪瑠(同3歳)の6人が、心タンポナーデ(体液や血液の貯留による心臓の圧迫)や急性一酸化炭素中毒などで死亡した。長女の夢妃だけは、まだ息があって病院に搬送されたが、目を醒ますことはなかった。小松は逮捕され、翌年2月に起訴された。検察側の冒頭陳述によると、妻から離婚を求められ、小松は妻子の殺害を計画したとされる。
日立市で、凄惨な事件が起きることは稀だったが、茨城県内どころか、日本全国を震撼させるニュースとなった。