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 殺害が記憶から抜け落ちた状態で、目と耳だけで知った事実によって死刑になるとは、何ともしい。記憶があるのならばまだ、反省しようとか、償おうとする原動力にもなるし、現実を受け入れることができるだろう。しかし記憶のない状態では心理的に無理がある、と私には思えてしまう。

「処刑方法は、どのようなものか知っていますか」

 ハメルにも、彼が死刑場に向かう1週間前に、同じことを訊いた。

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 50センチほど前で、どっしりと腰掛けている小松は、ハメルとは異なり、生きた人間の目をしていなかった。同様の罪を犯した加害者ではあるが、小松からは生命力を感じなかった。彼は、淡々と答えた。

「はい、知っています。絞首刑です。自分が妻や子供にしたことに比べたら、絞首刑は軽いと思いますね。同じような殺され方がいいと思います」

「それは、どういった殺され方ですか」

「どういったと言われても、記憶にないので分からないんです……」

 絞首刑は軽いため、自らが手を下した殺害方法で殺されたい。しかし、その殺され方を覚えていない。小松は、矛盾とも取れる物言いをした。資料を読んでいるのだから、殺害方法は知っているはずだ。それとも、口にすると妻子の死という現実が突きつけられて、辛くなるのか。

写真はイメージです ©iStock.com

控訴を続けようとしている理由

 東京高裁で控訴が棄却された場合、弁護側が最高裁への上告をしないか、または、小松自身が上告を取り下げれば、死刑はその段階で確定する。そこには、「生き残る」のか「死ぬ」のかという極端な二者択一だけが残される。

 そもそも小松は、現在の控訴を断念し、死に向かう心構えはあるのか。どうやら、その判断に躊躇はないようだった。

「自分は、取り下げてもいいと思っています。裁判の結果は、このまま変わらないだろうし、いくら倒れて記憶を失くしたと言っても、それは事件の後なので。その後、心神耗弱状態になったということなんですけど、それもよく分からないので」

 ここまで意を決している小松だが、控訴を続けようとしている理由は、あるマスコミの社員からそうするよう求められているからだという。

 高裁次第では、無期懲役という判決も除外できない。だが、小松自身は、それを望んでいないように見える。本心を探ってみると、彼の本音はあっさりとしていた。

「無期懲役だったら、死刑のほうがいいです。一生ここから出られないし、閉ざされた牢屋の中にずっといるよりは、自分的には(死刑のほうが)気が楽ですね」

 すでに処刑されたハメルも、私に同じようなことを話していた。「私は45歳です。この人生をさらに40年続けるなんて不可能です……」と。利己的な言葉にも聞こえるが、40年もの歳月を独房で過ごす絶望は、想像に余りある。恩赦の可能性が非常に低い日本においては、特に長く感じられるかもしれない。小松のように、無期懲役よりも死刑を選びたがる人間の気持ちも分からなくはない。