殺害の記憶を持たない被告への極刑宣告
逮捕から1年経った11月下旬、日立署で勾留中だった小松は、持病の肺高血圧症による心不全で意識を失い、一時期、心肺停止に陥った。その後、一連の手術を経て、一命を取り留めた。体重が30キロ減ったばかりか、犯行の一部始終が小松の記憶から消えたと報じられた。
殺人と放火事件の初公判は、2021年5月31日に始まった。小沼典彦弁護士は、被告が犯行当時から鬱病を患っていたことや、極度の緊張状態による激しい情動からの意識解離状態にあり、心神喪失または心神耗弱状態であることから、無罪または量刑の減軽を主張していた。
同年6月30日、判決公判が水戸地裁で開かれ、小松博文に死刑判決が言い渡された。殺害の記憶を持たない被告への極刑宣告となり、小松は即日控訴した。
偶然にも、私が追いかけたジョン・ウィリアム・ハメルが、テキサス州で処刑された日と重なっていた。
別人のような被告
小松の死刑判決から約4カ月経った10月25日、私は、葛飾区のにある東京拘置所に足を運んだ。小松が水戸にいるのか、東京にいるのかを知りたくて、事前に水戸地裁に連絡してみた。だが、裁判はすでに東京高裁に委ねられているとのことで、「茨城にいるかどうかは分からない」という曖昧な答えだった。日本での取材を始めて最初に耳にした違和感のある言葉だった。言えないのか、それとも、本当に分からないのか。
東京拘置所に電話しても回答を得られないことはに聞いていたため、直接、出向いてみることにした。小菅の拘置所周辺は、高層マンションが数棟立ち並び、拘置所の横を走る首都高の向こう側にはスカイツリーの展望台部分が見えている。
法務省によると、2021年12月12日現在、日本の確定死刑囚は110人。東京拘置所は、日本最大の拘置所で、死刑囚(確定と未決含め)が約50人おり、総勢約3000人の受刑者や未決拘禁者が収監されているという。この中の一室で、死刑が執行されている。処刑方法は絞首刑。世界では、サウジアラビアやイランなど、イスラム諸国を中心に行なわれている処刑方法である。
拘置所の入り口で、面会希望の用紙に情報を書き込み、受付に提出した。手書きの番号が記された整理券を渡され、テレビスクリーンに番号が表示されるまで待つように指示された。この整理券があるということは、小松がここにいるという理解で良いのか。いたら会えるのか。受付の職員に尋ねても、何も教えてくれなかった。
スクリーンに番号が表示された。受付の指示に従って廊下を進むと、荷物検査場があった。ここで、私物をすべてロッカーに預け、ノートとペンだけを取り出した。日本では、カメラもICレコーダーも持ち込みが禁じられている。会話内容を正確に伝えたいと思えば、手書きには限界があるが、被告の肉声が世に出回ることを避けるための配慮だと考えれば、それはそれで正しい判断だと思える。