嘘をつこうとするための「間」がないくらい、受け答えが早い
こちらを見つめる顔に表情はない。私が質問しても、まぶたさえ動かさない。小松は、本当に殺したことを覚えていないらしい。では、事件の内容については、どのように知らされたのか。
「そうですね、弁護士の資料を見て、そうだったんだって思ったくらいですね。何でそんなことをやったのかって思いましたね」
妻と5人の子供を惨殺したのである。なのに、まるで赤の他人によって殺害されたかのような口ぶりだ。その事件を知って、彼はどう思ったのか。
「聞いてショックでした。何で自分だけが生きているのかと思いましたね。何で子供まで巻き込んでしまったのかって思います」
小松は、「子供まで」と言った。ということは、本来は「妻だけ」を殺害しようとしたということか。私が続ける。
「奥さんのことは、最初から殺そうと思っていたのですか」
「いいえ、妻のことを殺したいと思ったことはないです。なぜ殺したのか……、えぇと、その辺りのことをあまり覚えていないんですよね」
ただ漫然と語っている印象の小松だが、私には嘘をついているようには見えなかった。考え込む素振りが一切なく、受け応えがとにかく早い。嘘をつこうとするための「間」がないのだ。
刑法39条1項によると、刑事責任を問うためには、行為の時点で責任能力がなければならない、「行為と責任能力の同時存在の原則」があるという。つまり、犯行時に心神喪失状態だった場合、処罰しないという規定である。詳しい説明は後に回すが、小松の裁判では、この部分が争点となった。
そこで私は、端的にこう訊いてみた。
「死刑判決が言い渡されましたが、死刑という刑罰をどう思いますか」
すると小松は、嫌だとか怖いという心境を吐露することなく、こう答えた。
「本とか読んでいるのですが、客観的に考えてみても、6人も殺していれば死刑は仕方のないことだと思います」
要するに、彼自身は死刑を受け入れている。だとすれば、そもそも死刑を回避するための虚偽発言などするはずもない。だから私は、彼が記憶障害を装っているわけではないだろうと、ますます感じるようになった。
絞首刑は軽いと思う
彼が言うように、死刑は「仕方のないこと」なのかもしれない。だが、本人はそれに納得しているのだろうか。小松は、ほとんど瞬きをしない。
「覚悟はあります。本や資料をたくさん読んでいるので、怖くはありません。単純に(死刑という)罰が良いのか分からないですが、死刑と言われたので自分がどう進むのかを知りたくて、資料を読んではいました」
彼の発言を聞きながら、私の中で、あることがひっかかっていた。それは、殺害行為の記憶がないにもかかわらず、彼は検察の調書や伝聞から「自分が殺した」と認めていることだ。