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小学生の頃から30年間通い詰める“元祖アキバ系の女王”桃井はるこさんが気づいた、秋葉原の居心地がいい理由「昔も今も、圧倒的にひとり率が高い。みんな一心不乱に…」

桃井はるこさんインタビュー#1

2022/12/29

――ちなみにどんなCDをお求めだったんですか?

桃井 アイドルですね。当時は「アイドル冬の時代」だったので、地元のCD屋さんだとアイドルのCDは少ししか置いてなかったんです。あとアニソン。これも今のように専門コーナーがあるわけではなく、童謡とかとあわせて子供向けのコーナーに少し置かれているだけだったものが、秋葉原ならメジャーから出ているものが昔のものから最新のものまで全部あるので、「こんなコンピ盤が出ていたのか!」とか、「このアニメの主題歌はOP・EDが一緒に入ってるCDと、別々に収録されていてカップリング曲が違うバージョンもあるのか!」とか、そんなことを毎週末に秋葉原に見に行って、チェックしていました。

――当時はネットで検索もできませんでしたからね。

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桃井 超楽しくて、1日居られる街でしたね。ゲーム関係も充実していたし。秋葉原にはメッセサンオーがあったんですよね。隣にはソフマップがあったし、ほかにもアングルとか、ゲーム屋さんはいろいろ建っていたんですけど、メッセサンオーが一番安いし、他で売り切れているような人気タイトルがしっかり置いてあるので、よく行ってました。メッセサンオーには海外ゲームのコーナーもあったし。海外ゲームにすごく惹かれていたんですよ。

 

――当時だとそれもまた珍しい趣味ですよね。今ほど海外の情報が簡単に入ってこない時代ですから。

桃井 家族旅行でハワイに行ったことがあって、そこでNESを買ってもらっていたんです。ファミコンはちょっとかわいらしいじゃないですか。でもその海外仕様のNESは黒とグレーで四角くて、「ランチボックス」なんて通称で呼ばれていましたが、すごく格好良かった。そんなこともあって海外ゲームに惹かれていたんです。メガドライブも海外版のGENESISが好きでしたね。そういうものを扱っているのは、当時はメッセサンオーさんだけだったので。雑誌も充実してたんですよね。当時は中学生で、お小遣いじゃソフトは何本も買えないので、海外の「Nintendo Power」という雑誌を買って、「ロックマンの顔が日本とは全然違う! なんだこのおじさん!」と思いつつ、そのポスターを部屋に貼ったりして、日本で生まれたゲームが海外で別の受け取られ方をしていることの意味を考えたりしていました。

「通っていた学校はエリート校だったこともあってか、まわりの女子とは話がまったく合いませんでした」

――そんなところまで目を向けられていたんですか。すごい。

桃井 メッセサンオーといえば、当時の秋葉原は、平日にはあまり人がいなかったんです。レジ待ちが1時間になるくらい混むのは週末だけで、平日は夕方になると学生がちょっと目立つようになるくらい。私もそのひとりで、中学生のときは学校帰りにメッセサンオーの海外ゲームコーナーに入り浸って、コモドールという会社のAmigaというパソコンの試遊台で、ずっとゲームで遊んでいたりしたんですが、それでも特に文句も言われず。さらに店員さんと顔見知りになると、お店に来るゲーム業界の人を「○○のメーカーの人だ」と教えてくれたりして、その人が企画しているゲームの話とかをべらべら喋ってくれちゃったんですよね。今考えると「守秘義務とは?」となりますが(笑)、当時はまだネットも普及していないので、今みたいにどこかに書き込まれて広まる心配もなかったからでしょうね。

 

――大人の世界に片足を突っ込んだ感じですね。まわりに同じような友達はいたんですか?

桃井 いえ、通っていた学校はエリート校だったこともあってか、まわりの女子とは話がまったく合いませんでした。どちらかといえば男子のほうが、女性アイドルの話もできるし、ゲームの話や時代劇の話もできて、話が合ったんです。でもそうやって話していると女子から「なんで男子とばっかり話してるの?」とか言われてしまうし、息苦しいな、なんでこんなに人の目を気にして生きていかないといけないんだろう? と学校では感じていましたね。でも秋葉原に行けば、ただ楽しくゲームをしていられる。そうするとおじさんやお兄さんがゲームの話を教えてくれることもあって、なんて楽しいんだと。おまけに「ファミ通」の早売りまで買えてしまう。当時、秋葉原だと発売日の2日前に並んでいたんです。その差は大きいですよね(笑)。

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