秋葉原が「萌え」の街に変わっていく90年代は、桃井はるこさんの存在が世に知られていく時期だった。
街の変化に乗るように、桃井さんも秋葉原で史上初(?)のコスプレ店員となり、後に「電波ソング」と呼ばれるアキバ系音楽を生み出し、声優やラジオパーソナリティとしても活動を広げていった。
秋葉原にくる“オタクの街”という大きな波に桃井さんはどう乗ったのだろうか。(全3回の2回目/#1、#3を読む)
――それが90年代半ばのことで、そのころから2000年代にかけての秋葉原は、いわゆる「萌え」の中でも、二次元の美少女イラストがあふれた街という印象が強いように思います。桃井さんの目には、どのように映っていたのでしょう?
桃井 その印象が強くなったのは、おそらくゲームの影響が大きいと思います。というのも、『ときめきメモリアル』が発売されたときのことを鮮明に覚えているんです。メッセサンオーに来る人たちは硬派なゲーム好きが多くて、「ついにコナミも軟派なゲームを出しやがった!」とシューティング・ゲーム好きのマニアが割と憤っていたんですが、でもそれがめちゃめちゃ売れて、入荷するとすぐに売り切れてしまう。PCエンジン版は出てすぐのころ、中古でとんでもないプレミア価格がついたりしていたんですよ。
――PlayStationやセガサターンの発売を目前に控え、PCエンジンも後継機にあたるPC-FXが発表され、ハードとして終わりに向かい始める時期の思わぬスマッシュヒットで、そうした時代背景もあって大きな話題になっていたのを覚えています。
「秋葉原初のコスプレ店員は私なんじゃないかなと勝手に思っています(笑)」
桃井 それで私も「一体どんなものなのだろう?」と思ってプレイしてみたんですよ。そうしたら、そもそも女の子のアイドルが好きなこともあってハマったんです。メッセサンオーで商品の受け渡しの短期バイトをやったときに、COSPAで売られていた公式衣装で『ときメモ』のコスプレをしたくらい。だから秋葉原初のコスプレ店員は私なんじゃないかなと勝手に思っています(笑)。当時、中野や渋谷のまんだらけにはすでにコスプレ店員がいたので、日本初ではないですけど。秋葉原にはそういうお店がまだ無かったんですよね。
――隔世の感がありますね。
桃井 で、その後、美少女ゲームブームが来るわけです。その前に自作パソコンブームがあって、高スペックパソコンを持て余していた人が大勢いたところに、美少女ゲームの波が来て、一気にみんながやり始めた。そして秋葉原の中央通り沿いや裏手にいくつか美少女ゲームの専門店が出来ると、「オリ特」が出来てきたんです。2000年くらいの話ですね。「オリ特」は「オリジナル特典」の略で、「このお店で買うとテレフォンカードが貰える。こっちのお店だとタペストリー。こっちの店では……」みたいな、それぞれの店舗が競うようにして、個性的な特典を付けたんです。