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――同じ商品を仕入れていて、値段でほとんど差異化できない分を、特典で勝負するようになった。

桃井 で、その流れで、特典に使われているCGをそれぞれが店頭に掲げるようになったんですよね。そこから「萌え」の街としての秋葉原が本格的に始まったのかな、と。

 

――なるほど。その渦中で桃井さんはどうされていたのでしょう?

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桃井 そのころ、店頭では美少女ゲームのデモムービーを必ず流していたのですが、そこで使われている楽曲にはバラード調のものが多かったんです。でも秋葉原にはサトームセンの「あなたの近所の秋葉原~♪」みたいなノリの良い店内放送が多くて、場所によってはその音でかき消されてしまう。私は「ここでもっとキャッチーな、頭に残るような曲をやったら、みんなの求めているものになるのではないか?」と思ったんです。あと、渋谷には渋谷系の音楽があり、新宿にも、なんとなく新宿らしい音楽がある中で、秋葉原には「アキバ系」と呼べるような音楽がなかったんですよね。アニソンはアニメの音楽だし、ゲーム・ミュージックも別に秋葉原の音楽ではない。だったら私がアキバ系を名乗って音楽をやるしかないだろう……そんな使命があると思いました。若者がいっぱい集まるところには、音楽が必要だと思ったんですよね。インパクトのある、みんなが共感するようなポップな音楽が。

「やっぱりこの路線をやるべきだったんだ!」

――そのふたつの考えが結びついて、ユニット・UNDER17を結成しての、桃井さんの美少女ゲームソングへの道が始まるんですか?

桃井 そういうことになりますかね。もともと小学生の頃からずっと、アイドルに作詞・作曲をする仕事に就くのが夢だったんです。それで自分の作った曲を聴いてもらうきっかけになればと思って、まずは「いちごGO!GO!」という曲を『いちご打』というゲームのために作りました。それを秋葉原の店頭で流してもらったところ好評だったので、やっぱりこの路線をやるべきだったんだ! と確信して、UNDER17を本格的に始動したわけです。でもその頃、ちょうど「抱き枕」が盛り上がり始めた時期でもあったので、抱き枕も展示しよう、デモムービーの音楽もがんがん流そう、あれもこれもやろう……と目立つことをしていたら、近隣からクレームが来てしまったこともあったんですよね(笑)。

 

――ははは(苦笑)。秋葉原にはオタクと関係ない、地元の方も大勢お住まいですからね。

桃井 でもそうした騒動も含めて、今にして思えば楽しい時代でした。UNDER17はライブをやるために結成したユニットでもあったんです。当時は今ほどネット回線が太くなかったこともあって、美少女ゲームの体験版はイベントで、CD-ROM形式で配布していました。そうやってせっかく人が集まる機会があるのに、ただ体験版を貰って帰るだけでは寂しいので、ライブをやってみんなで盛り上がったら思い出づくりになって絶対に楽しいのに……と思っていたんです。ライブを「やりたい」じゃなくて「やらないとダメだ」。それくらいの強い思いで結成したユニットでしたね。