渋谷、新宿、浅草、銀座など東京の街には“イメージ”がある。その中で、秋葉原ほど時代によってイメージが変化してきた街は他にない。
1950年代から70年代まで家電の街だった秋葉原が、80年代頃からはパソコンマニアの街としての顔を持つようになり、90年代からはアニメやPCゲームの“萌え”の街に。2000年を越えるとAKB48の劇場ができるなどアイドル色が強まり、2010年代以降はメイドや執事に代表されるコンセプトカフェの街としての印象も強まっている。
そんなどこよりも変化する街・秋葉原の中を生き、「元祖アキバ系女王」と呼ばれるのが桃井はるこさんだ。
80年代から秋葉原に通いはじめ、ジャンク屋のアルバイト、アイドル、電波ソング、声優、プロデューサーと多彩な経歴を持ち、秋葉原にまつわるカルチャーのど真ん中にいた桃井さんに、秋葉原の30年間の変化はどう見えているのだろうか。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
小学5年生で訪れた秋葉原で「ここは天国か!」
――今日は桃井さんの目から見た秋葉原の街を語っていただければと思います。著書の『アキハバLOVE』によると、小学生の頃から秋葉原に出入りされていたとか。きっかけは何だったのでしょうか?
桃井はるこさん(以下、桃井) 小学5年生くらいのときに、家族で家電を買いに行ったのがきっかけですね。そのときに石丸電気レコード館を見つけたんです。当時はまだネット通販なんて便利なものは無く、地元に大きめなレコード屋さんはあったものの、そこに置いていないレコードも多かったんですよ。お店に頼んで取り寄せてもらうことはできましたけど、それだと手に入るまで2週間くらいかかってしまう。そんな時代に石丸電気レコード館に行くと、大きな建物がまるごとレコード屋さんで、まずお店の規模の桁が違う。「ここは天国か!」と思いました(笑)。
――大型のCDショップの存在感が今とはまったく違う時代でしたね。
桃井 さらに注文書まで置いてあって、メーカーのカタログも見られるようになっていたんですよね。お店の人に尋ねたら、「ここに載っているものは全部店に置いてあります。無かったとしたら直前に売れてしまったようなものだけです。メジャーレーベルからリリースされているもので入荷しないものは無いですね」といわれて。「すごいところがあるな!」と思いました。タワーレコードもまだない時代でしたからね。新宿の帝都無線や新星堂、あとは六本木や池袋のWAVEには、その時点でも行ったことがあったんですけど、比較にならない充実度でした。秋葉原には石丸電気だけじゃなく、ヤマギワソフトだとか、ソフトターミナルシントクだとか、ほかにも大きなレコード屋さんがたくさんあって。「ここはヤバいじゃん!」と思いましたね(笑)。それで秋葉原に行くようになったんです。