今も「オタクの聖地」であり続けている秋葉原だが、現実はイメージの中の姿から大きく変化している。
メイド姿の呼び込みが歩道に並び、パソコンやアニメ、アイドル以上に目立っている。その変化を敬遠してか「秋葉原から足が遠のいた」という人も少なくないが、桃井さんは「秋葉原は秋葉原のまま、東京ラジオデパートなんてめちゃくちゃ面白いんですよ」と話す。
――2ちゃんねるに投稿された「実話」とされる『電車男』が書籍化され、映画化・ドラマ化を通じて盛り上がり、その少しあとにはアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の大ヒットなどもあり、オタク文化というか、ネット空間のノリが現実のメジャーな場に出ていく流れが2000年代の半ばにありました。このあたりの現象は今振り返ると、いろいろと難しい点もあります。ネットは今よりもアナーキーで、現在の目から見ると厳しいものもたくさんある。
「オタクを下の存在として扱おうとしている雰囲気が感じられることが多かった」
桃井 私は昔から、いわゆるバーバリアン(野蛮人)のノリではなかったんですよ。秋葉原の路上で「もあいはるこ」として活動したときも、路上ライブをやっている人に確認して、法を犯さないようにやっていました。「いちごGO!GO!」のときのクレームにもちゃんとすぐ対応したんですよ。とにかく秋葉原の街を愛していて、大事にしたいので、迷惑をかけるようなことをしたくない。でも、あの当時の秋葉原の盛り上がりには、たしかにニコニコ動画や2ちゃんねるの、ネットで出会う人たちのリアル版みたいな、そういう感じがありましたよね。
――良くも悪くも、そうでした。
桃井 『電車男』の時期、2005年前後は、私のまわりの人たちは秋葉原に普通の人が来るのをウザがっていたんです。珍獣扱いされる、と。「本当にリュックにポスター差してる!」みたいなことを言われたとか。そういう人は「何も買わないくせにアキバに来やがって!」と文句を言っていたけれども、私は「ひとつの街の盛り上がりだから別にいいのかな」なんて感じていました。あ、ただ、テレビの出演依頼もこの時期は結構あって、それはオタクを下の存在として扱おうとしている雰囲気が感じられることが多かったので、全部断っていたんです。「ファンの方たちを連れて来てください」って、どんなふうに扱うつもりなんだろう? と。「オタクは犯罪者予備軍」みたいな考え方もまだ根強いころでしたしね。