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本当に「不正入試」だったのか? 「早く済む」と考えて署名押印したことも…東京医大理事長が検察の取り調べに抱いた“恐怖”

『東京医大「不正入試」事件 特捜検察に狙われた文科省幹部 父と息子の闘い』より#2

2023/01/19
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 2018年7月、文部科学省科学技術・学術政策局長の佐野太が受託収賄罪で逮捕された。容疑の内容は、東京医科大学に対して私立大学研究ブランディング事業に関する便宜を図る代わりに、息子を不正に合格させてもらったというものである。この事件に関する捜査の過程で、東京医大の入試で女子学生が不当に差別されていたことが判明し、衝撃を受けた人も多いだろう。

 当時の東京医大理事長・臼井正彦も「不正入試」事件の被告人の一人である。臼井は当時77歳と高齢で、重い鬱病に悩まされ、心臓弁膜症と緑内障の手術を受けたばかりだった。

 ここではフリージャーナリストの田中周紀さんがこの事件の真相に迫った『東京医大「不正入試」事件 特捜検察に狙われた文科省幹部 父と息子の闘い』(講談社)から一部を抜粋して紹介。心身ともにボロボロの状態だった臼井が取り調べを受けた際の過酷な状況とは——。(全2回の1回目/後編を読む

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東京医科大学 ©時事通信社

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全12通に及ぶ臼井の供述調書

 不祥事や疑惑に塗れて心労が重なった臼井は2014年、とうとう鬱病を発症し、JR目黒駅近くの心療内科を受診した。その甲斐あって症状はいったん回復したものの、17年12月頃からはストレスから再び鬱症状が現れるようになった。

 担当の心療内科医が18年に入って記した所見を時系列で見ると「面倒臭い、横になりたくなる、寝るといろいろな事が頭に浮かんで眠れない、味がよくわからない、食欲がない等の状態」(2月28日)、「気力低下」(3月14日)、「気力低下が続いている」「日中も用事がないと横になってしまう」(4月)とある。

 臼井自身も公判で、「18年になると鬱症状で疲れてしまい、症状が酷い時期には2日に1回、大学の理事長室のソファーで横になるような状態。午後早い時間に帰宅することもありました」と述べている。こうした鬱症状は、同年6月18日の特捜部による取り調べ開始時点でも継続していた。

 また、眼科医の臼井にとって、緑内障の症状も深刻な状況だった。両眼とも視野が欠損している状態で、しかもその欠損は不可逆的に進行し続けていた。利き目の右眼は中心視野(焦点部分)を含めて視野が8割方欠けており、右眼だけで見た場合は隙間から見ているような感じに見える。左眼の症状は右眼ほど進んではいないものの、視野が欠けてかなり見えにくくなっているという。

 こうした眼の状態は細かいものや文字を読む際に多大な影響を及ぼし、細かいものを見る際は矯正用の眼鏡を外したりするものの、文字を読むと短時間で疲れがくるようになるだけでなく、特に右眼の奥が鈍痛を感じるようになり、集中できない状況をもたらした。

 こうした心身ともに劣悪な状況下にある臼井の携帯電話が鳴ったのは、18年6月18日午前9時過ぎのことだった。相手は東京地検特捜部検事の水野。特捜部直々の呼び出しを受ける覚えはなかったが、臼井は水野の要請に応じて東京・日比谷の検察庁舎内にある東京地検特捜部に出頭した。取り調べは身柄を拘束されない任意の形で午前10時40分から始まり、昼食を挟んで午後6時19分まで延々7時間39分にわたって続いた。臼井はこの時の出来事について、公判で次のように回想した。

「東京地検と言われたかどうか明確に覚えていませんが、なにしろ『検察庁に来てください』とのことでした。少し恐ろしくなり、水野検事に何が聞きたいのか尋ねたのですが、『検察庁に来てもらってから話す』ということでした。そこで東京医大の顧問弁護士に慌てて連絡し、一緒に検察庁に出頭しました。

 検察庁に着くまでの間、弁護士とは『何の用でしょうね』と話していましたが、検事に話を聞かれた時の心構えや注意点などに関する話題はまったくなく、弁護士は検察庁に着くと早々に帰されました。検察庁では何の件について取り調べると言われたのか、今となっては定かではありません。

 贈賄容疑で取り調べられているとわかったのは2日目の6月19日のことです。文科省のブランディング事業と東京医大の不正入試の件だと、おおまかに理解しましたが、水野検事からそう言われたわけではなく、検事とのやり取りのなかで私自身が推測しました。私自身は不正入試自体がなんらかの犯罪に該当するのだと思っていました」