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《怖いのは、昨年末、サッカーのワールドカップ(W杯)で日本中が沸き返っていた時期に、敵基地攻撃能力や防衛費増額という大変な問題を、みんなで考えるんじゃなく、どんどん決めていこうとした動きです。》

 とも語っていた。ここで注目したいのは新しい戦前というなら「まずどの部分を心配するか」だ。防衛なのかその財源なのか、他国のことなのか? これも読み比べである。それでいくと吉永小百合さんは「みんなで考えるんじゃなく、どんどん決めていこうとした動き」という点を真っ先に警戒していた。とことん歴史に学ぼうとする視点だった。

新聞各紙を見てみると…

 実は、新聞読み比べ的に言っても元日各紙は「新しい戦前」勢ぞろいという感じだった。 

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朝日『空爆と警報の街から 戦争を止める英知いまこそ』(社説)
読売『日韓レーダーを接続 北ミサイル探知、即時共有へ』(一面)
毎日『「平和国家」はどこへ 日台に軍事連絡ルート』(一面)
産経『年のはじめに 「国民を守る日本」へ進もう』(一面)
東京『まちかどの民主主義 話し合いをあきらめない』(一面)
日経『分断を越える一歩を踏み出そう』(社説)

 などなど。

 私が吉永さんのインタビューを読んだ信濃毎日新聞は、1月5日の社説で『国防と報道 「非常時」の歴史に学ぶ』という視点で書いていた。

©文藝春秋

《戦前の新聞は「非常時」に直面して変質した。ただ、その場面にいた新聞社や読者は、引き返せぬルビコン川をいつ渡ったのかさえ気づかなかっただろう。》

 と振り返り、

《予測を超えた事態が起きて、メディアも国民も川を渡らずに踏みとどまれるか。権力による誘導やウソを見抜き、圧力に流されず、はね返す報道の力が試される。》

 この社説は過去のマスコミ報道(=過去の自分)を振り返り、「新しい戦前」かもしれない今において自分の役割をあらためて問うていた。マスコミのこういう検証や自省は今こそ必要なのでは。