「もう一度言います。私はあの女性、ルインスキーさんと性的関係を持っていません。私は誰にも嘘をついたことがありません。いまだかつて一度もありません。この申し立ては虚偽です」(西川賢『ビル・クリントン 停滞するアメリカをいかに建て直したか』中公新書)

 1998年1月、アメリカの第42代大統領ビル・クリントン(当時51歳)に対し、95年より97年にかけて、27歳下のホワイトハウス実習生モニカ・ルインスキーと性的な関係を持ったとする疑惑が持ち上がった。いまから20年前のきょう、1月26日の記者会見でクリントンは、5日前に出演したテレビ番組に続き、ルインスキーとの性的関係を改めて否定した。上記はそのときの発言だ。このあと、クリントンは記者たちの質問には答えず、「米国民のために私の仕事に戻る必要がある」と言って退席した(『毎日新聞』1998年1月27日付)。

モニカ・ルインスキーとの“不適切な関係”を否定 ©getty

 すでに前年の1997年10月には、クリントンの別の女性へのセクシャル・ハラスメントをめぐる折からの裁判の過程で、彼が何らかの性的接触を持った可能性のある女性として7人の名が浮上し、ルインスキーはそのうちの1人にあがっていた。年明けの1月7日、彼女はこのセクハラ裁判の証人として喚問され、クリントンとの関係を否定する。クリントンもまた、1月17日の同裁判の宣誓供述において、先にあがった7名のうち、1人とは一度だけ性的関係を持ったことを認めたものの、ルインスキーを含む残る女性との関係は否定した。だが、事態は水面下で大きく動いていた。

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クリントンとモニカ・ルインスキー ©getty

動かぬ証拠により国民へ謝罪、弾劾裁判へ

 このころ、クリントンをめぐるさまざまな疑惑を捜査していたのが、独立検察官のケネス・スターである。スターは1月15日、司法省からルインスキーへの捜査権限を得ると、彼女に対し、裁判で虚偽の宣誓供述をしたのだから、このままだと罪に問われるが、捜査に全面協力すれば訴追免責を与えようと取引を持ちかけた。このあと、18日未明には保守系のウェブサイト「ドラッジ・レポート」が第一報を伝え、さらに21日には『ワシントン・ポスト』紙が、大統領とルインスキーがかつて不倫関係にあり、さらには証言台で嘘をつくよう彼女に勧めた疑いがあると、スターが捜査を開始したことをトップで報じた(ビル・クリントン『マイライフ クリントンの回想・下巻』朝日新聞社)。それでも米国民は当初、この一件に半信半疑であり、クリントンの支持率は下がるどころか、むしろ上昇した。

 それから半年後の7月下旬、スターとの取引に応じ、ルインスキーがクリントンとの関係について詳しい情報を与え、体液の付着した「青いドレス」を含む物証を提出した。このドレスに付いた体液が、DNA鑑定の結果、クリントンの提出した血液サンプルと一致したことから、事態は急変する。8月にクリントンはホワイトハウスからテレビを通じて国民に謝罪し、翌99年には上院で、米大統領では史上2人目の弾劾裁判にかけられるにいたる。