一見不便で給与水準も低いのに、楽しそうな人が多いマレーシアという東南アジアの国。文筆家・野本響子さんは、家族でクアラルンプールに移住して早10年。ここでは新刊エッセイ『東南アジア式「まあいっか」で楽に生きる本』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介する。

 小さいミスでも、まず菓子折りを持ってお詫びに行く――怒りを鎮めるための「謝罪の儀式」を重んじる日本社会のあり方は、マレーシア人には異様に映るという。日本にはびこる「反省カルチャー」の盲点とは?(全2回の2回目/前編を読む

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 振り返れば、日本にいた頃はよく「怒られて」いました。

 今では学校や会社で、「一部のクレーマー」により、細かいルールを作らなければならないという話を聞きます。怒っている人を宥めるために、サービスの提供側がある程度の譲歩をすることがあります。「ごね得」という言葉をマレーシアの人に説明すると驚かれます。

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 マレーシアでは、従業員がミスをしたケースでも、とくにお詫びもなく、責任を追及せず、「しょうがないね」で終わってしまうことがよくあります。「人に迷惑をかけるな」と教わって育った日本人とは価値観が違います。遅刻したマレーシア人が、ニコニコしながら、「ソーリー」と言って日本人上司に怒られたり、車をぶつけられて、ぶつけた側から「まあ気にするな。運が悪かったのだ」と言われたという話もあります。

マレーシア人は「お客様は神様」とは思っていない

 しかし反面、「従業員への失礼な態度は絶対に許しません」と強気なところもあるのです。日本のように「お客様は神様です」とは思っていないということです。

 日本にはお詫びをするときに、「対面でないと失礼」「謝罪文は手書きでないと失礼」と考える人がいます。

 私は新卒で入った損害保険会社で、交通事故のクレームを受けるサービスセンターにいました。ここで覚えた慣習は、小さいミスでも「まず菓子折りを持ってお詫びに行く」という文化でした。揉めそうな案件や、被害者がやたら怒っているような状況では、被害者に必ずお詫びに行くよう指導されます。その教えはしっかりと自分の中に根付いているので、マレーシアに来た頃は、あまりの違いに驚きました。

 言ってみれば、これは相手の気持ちを鎮めるための「儀式」です。お互いに時間を無駄に消耗するにしても、「形式的な気持ち」が重要なわけです。