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曾祖父は地元の名士、祖父も一流企業の管理職

 “母殺し”という最悪の結末を迎えた親子2人の関係は、周囲にはどう映っていたのか。

 娘は母親と祖父母に囲まれ、牧之原市の海辺からほど近い大きな邸宅で生まれ育った。近隣住民らによると、曾祖父は自営業で成功した地元の名士で、祖父も建設重機を扱う一流企業の管理職を定年まで勤め上げるなど、生活上の不自由は何一つないようにみえたという。一家の知人男性が語る。

「家族仲は良さそうでしたね。5年ほど前までは地元でお祭りがありましたが、神輿の綱を娘が引っ張るのを、母親がほほえましそうに眺めていたのを覚えています。他にも屋台を一緒に手をつないでまわるなど楽しそうでしたよ。母親が手を離した時には代わりに祖母が手を引くこともありました。娘がまだ赤ん坊の頃には祖母がベビーカーを押して散歩する姿も見たりと、子育てには協力的な家庭に見えましたね」

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少女が通っていた中学校 ©️文藝春秋

13歳の娘はいわゆる“箱入り娘”のように見えた

 娘は家族の愛情を一身に受けて育ち、地元の小学校から中学校に進学する。地域のつながりで一家の自宅を訪れたことがあるという近隣住民の男性も「娘は可愛がられていた」と証言する。

母親の中学校の卒業アルバム。娘と母親は地元の同じ中学校に通っていた

「この辺りではひと月ごとに各家庭を回り、お経を唱える『念仏講』という風習があるんです。5年程前にその順番が回って自宅を訪れたのですが、座敷のある居間には、ショーケースのようなものにキャラクターものの子供向けの人形がきれいに並べられていましたね。自分の部屋もあって、大事に可愛がられて育てられているんだろうなと……。いわゆる“箱入り娘”っていうんですか? そういう育て方だったと思います。

 ただ、祖父母は品があり人付き合いもよかったですが、亡くなった母親は結婚に失敗して実家に帰って来て、どこか近隣と馴染めずにいる印象はありましたね。特にコロナになってからは、見かける頻度がぐんと減りました」