東京大のエースとして活躍した左腕・宮台康平(日本ハム)が今年からプロ野球の世界に飛び込む。彼に続けと、今年は地方国立大の本格派右腕2人がプロ志望を掲げ、大学生活最後の年に勝負をかける。
反骨心を力にした151km/hの本格派
「同じ舞台でやってきただけに正直悔しいですね」
そうライバルの活躍を見つめるのは、宮城教育大のエース右腕・松下圭太だ。身長183cmで体重88kg。分厚い体格は、強豪私立大の投手と比べても遜色ない立派なものだ。
そんな松下が嫉妬する相手が、福島県立福島高校でエースを争った立教大の右腕・手塚周だ。手塚は一浪の末に立教大へ進学し、松下は宮城教育大に現役で進学した。手塚は昨年、2年生ながら2番手の先発投手として、東京六大学野球や全日本大学野球選手権で登板。59年ぶりとなる日本一獲得に貢献した。
一方、松下は昨年5月に自己最速となる151km/hをマークしたが、大きな話題となることはなかった。「こっちは150km/h出しても全然有名にならない(苦笑)。自分も高いレベルでやれる自信はあるのですが、(実績では)差が開きましたよね」と悔しそうに話す。
入学時は野球をするつもりはなかった
福島高校時代は「与えられた時間のもとで、どれだけ自分たちで考えてやるか」という千葉眞佐春監督(当時)の指導のおかげもあって、主体性を持ってメキメキと力をつけて、最後の夏はエースナンバーを背負った。シード校として高い期待を受けたものの3回戦で勿来工に敗退。手塚との二枚看板で戦っていたため、松下はその試合の登板が無いまま高校野球を終えた。
大学入学時は野球部に入部しなかった。前期入試で国立大の強豪・筑波大を受験するも想定外の不合格。「模試でA判定も出ていましたし、実技も自信があったのでなんとかなるだろう」という気の緩みがあった。だが不合格となり「野球の能力も否定された気になりました」と当時の思いを正直に振り返る。そして、後期入試で宮城教育大に合格して入学した。
福島県内で有名な投手の1人であっただけに、入学時は野球部からも勧誘を受けたが「野球はもうしません」と断っていた。正直なところ「どうせ弱いんだろう」とも思っていた。しかし練習を観に行くと思いのほかレベルは高く、進学校の中軸打者や県選抜の選手もいた。
さらに試合に足を運ぶと、宮城教育大は勝利こそできなかったが、仙台大とタイブレークの熱戦を繰り広げていた。また、仙台大にプロ注目となっていた熊原健人(現DeNA)がおり、東北福祉大に城間竜兵(光星学院出身/現パナソニック)ら甲子園で見たことのある選手が複数いた。「この人たちを目指せば、まだまだ成長できる」と感じた松下は入部を決心。同級生とは一足遅く5月に入部した。
そして徐々に力をつけていくと、2年秋には東北学院大戦で33季ぶりの勝ち点獲得に貢献。3年秋にはコントロールも向上し、東北福祉大、東北学院大、仙台大の私学3強を相手に計22回を投げて6失点と好投を見せ、2018年のドラフト候補としてスカウトたちにリストアップされている。
一方で、秋の試合中に右ひじの疲労骨折をしてしまい、今春のリーグ戦登板は厳しい状況となっている。それでも松下は「もっと上のレベルでやりたいですし、いろんな選手に嫉妬しています(笑)。だから“鮮烈な復帰”を目指しています」とその闘志と反骨心により火をつけている(現時点でキャッチボールは再開した)。