いまから47年前のきょう、1971(昭和46)年1月31日、大阪の朝日放送制作・テレビ朝日系の番組『新婚さんいらっしゃい!』の放送が始まった。同番組は、同じく朝日放送でその4年後に放送開始された『パネルクイズ アタック25』とともに、いまなお日曜午後の定番として親しまれている。
『新婚さんいらっしゃい!』の企画立案が進められたのは、放送開始の前年の秋。朝日放送のプロデューサー澤田隆治、その実弟で放送作家の尾上たかしと、このころ充電期間中だったタレントの横山プリンが集まり、「永遠に続けることのできる番組」をつくろうと、3ヵ月にわたりミーティングを重ねた。こうして、素人の新婚カップルを登場させる番組の形が決まる。司会には、このころギター漫談「嘆きのボイン」がヒットしていた落語家の月亭可朝をメインに据え、女性パートナー(初代は江美早苗)と、売り出し中だった落語家の桂三枝(現・文枝)をサブ的ポジションに置いた(『新・調査情報』47号、2004年5・6月)。
だが、番組開始当初はまったく参加者が集まらず、スタッフが駅前などで募集のチラシを配って歩くほどだった。そこへ来て、スタートから約4ヵ月後、月亭可朝が参院選に突如として出馬するという事態が起こる(結果は落選)。このため、すでに収録した番組4本がお蔵入りとなり、可朝は降板。これを機に番組のメインを三枝に代え、新たなパートナーに歌手の梓みちよを迎えて「二人司会」のスタイルとした(ちなみに現在のパートナーの山瀬まみは7代目で、昨年には番組出演20周年を迎えた)。結果としてこれが当たる。
尾上たかしによれば、番組の始まったのはまだ風呂のある家が少なかった時代で、内風呂に関する話題で盛り上がることも多かったという。ある回では、突然来宅した夫の上司に妻が頼まれ、風呂に入れたところ、そこへ夫が帰ってきて、あとで夫婦喧嘩になったという話が出たとか(『中央公論』2000年12月号)。以後、「婚前交渉」「できちゃった婚」など、時代ごとに中心となる話題は変わっていく。近年では、高齢者同士、あるいはフランスで同性婚が認められた直後に登場した日本人とフランス人の事実婚カップル(フランスでの公開収録時に出演)など、時代の変化を反映した参加者も目立つ。
司会の桂文枝は、夫婦からリアルな言葉を引き出しつつ、下ネタの類いはあまり暴走させないよう要所要所でブレーキをかけているという(『サンデー毎日』2016年2月28日号)。創作落語も数多く手がける文枝だが、番組での出演者たちの話は突飛すぎてリアリティがないため、落語にはならないと話す一方、《婿さんの雰囲気とか嫁さんの感じというのは、表現のヒントにはなります》とも語っている(『文藝春秋』2012年3月号)。前出の『サンデー毎日』のインタビューによると、放送開始50周年に向け、それ以降も番組を継続していくべく、文枝は自分の次の司会者の育成も頭に置いているようだ。