ネイルサロンの経営で失敗 多額の負債から逃れるために改名
友人らによれば、「東京モード学園」を卒業した菊地は、借金をしてネイルサロンの経営に手を出していた。当時は、「なにかやってからでないと札幌には帰れない」と語っていたという。一旗上げねば故郷には帰れないという意識が強かった。
けれども、ネイルサロンの経営は上手く行かず、結果として菊地には借金だけが残った。4500万円。20歳を超えたばかりの若者には大きすぎる負債だった。この負債から逃れるため、菊地は名前を変えることを思いつく。「頼平」改め「翔」。飛翔――何者かになりたいという思いがその名前を選ばせたのか。
かつて菊地は東京歌舞伎町にある店舗で働くキャバ嬢がお気に入りだった。菊地は彼女のもとに相当通った。席に着き、高い酒を並べては自らのたどってきた道を彼女に聞かせてきた。聞かせてきたというよりも、恐らく聞いてもらいたかったのだろう。それは菊地の承認欲求のようでもあった。
ネイルサロンの経営で失敗し、多額の負債を負い、それから逃れるために改名までしたこと、歌舞伎町のほかのキャバクラで皿洗いなども経験したと語っていたという。
東京だけでなく地方からの訴えも増加
菊地は酔っ払うと、情報商材で相当に儲けたことを自慢げに話すのが好きだった。どうということもない商品に幾重にも言葉の衣をつけて見栄えを良くしては、売り飛ばし儲けてきたことを饒舌に語った。空虚なものをさも実質があるかのように見せる、菊地にはそういう言葉の巧みさがあった。
菊地の住民票を追いかけた弁護士によれば、若い頃は豊島区池袋に住んでいたことがわかっている。しかし10年ほど前から港区内での転居を繰り返すほど羽振りが良くなっていた。今でも住むのは現金で買った、大手ディベロッパーが手掛けた大規模商業ビルの高級レジデンスである。購入金額は3億円と言われている。
菊地と関戸という大幹部の仲が微妙な陰りを見せ始めているエクシア。同社に対する訴訟は相次ぎ、東京だけでなく地方からの訴えも増えてきた。2023年1月、警視庁では捜査2課長が代わった。その交代を機にエクシアへの捜査が行われるのではないかという情報が飛び交う。六本木グランドタワー15階から巷を睥睨していた菊地と関戸。彼らの目に映る風景は、一変したに違いない。投資会社エクシアの包囲網はじりじりと狭まっている。