「ソマリアを救う」という大きな目標とのギャップ
訳知り顔の大人たちに見切りをつけた永井さんは2011年9月、大学1年ながら「日本ソマリア青年機構」を設立。大学の学生ラウンジにチラシを貼ったり、学部の友人を誘ったりしてスタートした。
当初はできることとしてサッカー用具の送付や日本への留学斡旋などを手探りでやっていたが、「ソマリアを救う」という大きな目標とのギャップに悩む日々だった。
「大人に啖呵を切って始めたのに、なんらインパクトを生み出せてないわけです。本当に忸怩たる思いでした。そんな中で気が付いたのが、ケニアで蔓延る“ソマリア人ギャング”の存在でした。2012年の暮れあたりのことです。詳しく調査してみれば、彼らの年齢は20歳前後。『俺らと同世代じゃんか!』と思い立ち、伝手を辿って現地のギャングのたまり場に向かったのです。
そしてリーダーの青年に『俺たち若者で世界を良くしようぜ!』といったら、『ふざけんな』と胸倉を掴まれました。彼は薬物中毒で、目が真っ赤。『なら今すぐ俺の目を治してみろ』とド突かれ、自分は自分で『俺は医者じゃない!』とか反論して…中々大変でした。
『こいつらガチだな』という信頼
それでも諦めず、『俺達には無限の可能性があって、大人たちはクソだから俺たちと世の中を変えようぜ』みたいな内容をノートにメモって話し伝えていきました。当時は英語を話せなかったので言いたいことはメモに書いていたんですよね。微笑ましいですね(笑)。そうすると少しずつ『こいつらバカで金もないけど…ガチだな』と信頼してくれていきました。最終的には胸ぐらをつかんできたリーダー格の青年も、我々スタッフの一員と呼べるぐらい親しくなりました」
永井さんたちが最初に取り組んだのは、ギャングの“意識改革”だった。
彼らを集めて、社会の問題点をポストイットに書き出してもらう。すると、出て来るのは溢れんばかりの不満ばかり。その原因を分析させると、結局は“ギャング”という自分自身の存在に立ち返ることになった。